SSブログ

東由多加について [東京キッドブラザース]

1970 golden bat-3.jpg

「東京キッドブラザース」という劇団があった。
「天井桟敷」で演出をしていた東由多加が、下田逸郎らと結成したロックミュージカル劇団で、
1968年~2000年まで活動を続けた。
1970年のNY公演「The Golden Bat」は、「完璧な独創性」と絶賛され、
オフ・ブロードウェイで10ヶ月のロングランを成し遂げ、
エド・サリバンショーにも出演を果たした。

東2.jpg

その頃の僕は、東由多加の作り出す鮮烈で時代を疾走するような演劇に強く惹かれていた。
「東京キッドブラザース」の演劇には、少年が空に向かって叫ぶような無邪気さや、
草原の中を、どこまでも走りつづけけるような若さ、
あきれるほどに澄んで透明なロマンチシズムがあった。
「東京キッドブラザース」の客層は不条理や観念的なものを好む左翼っぽい演劇青年より、
ミュージシャンとかイラストレイターとかアート系の人たちが多かったような気がする。
当時、劇団には俳優以外に大勢の若者たちが出入りしていた。
俳優になる前の柴田恭兵、小椋佳、モデルの山口小夜子、作詞家の岡本おさみ、
ヒカシューの巻上公一や井上誠、元全共闘委員長の秋田明大らも事務所によくいた。
将来のことは何も分からないが、毎日が刺激的だった。

しかし、いつまでも劇団にいるわけにもいかず、僕も就職して社会人になった。
1980年代に入ると「東京キッドブラザース」は、柴田恭兵や三浦浩一、坪田直子、純アリスなどのスターも生まれ、大劇場での公演もこなすメジャーな演劇集団として活動していた。
僕は30代になり、いつしか「東京キッドブラザース」から、だんだん足が遠のくようになっていった。
実を言えば「東京キッドブラザース」の演劇にかつての衝撃や共感を感じられなくなっていたのだ。
年をとったということかもしれない。
40歳を過ぎても、愛や連帯を本気で叫び、それを信じようとしている東由多加が
僕には理解できなかった。
愛とか連帯とか、そんなものは遠い昔に通り過ぎていったものじゃないか、と。
ひとりで見る夢も、みんなで見る夢も、現実の中ではぼやけていってしまうものじゃないか、と。
30歳を過ぎて、つまらない現実に心を砕いて生きていた僕は、かつての青春から後ろを向いて別の道を歩もうとしていた。
寺山修司の言葉通り「さよなら、フラワーチルドレン」という心境だった。
東由多加と最後に会ったのは、1999年6月、「東京キッドブラザース」が公演をした恵比寿の劇場だった。
舞台の上で俳優たちが訴える愛と連帯は、なぜか照れくさくて、
僕は居心地の悪さを感じながら席を立った。
終演後の劇場のロビーに佇んでいると、
いつものようにすべてを敵に回したような鋭い目つきで東由多加がやってきた。
「これが、最後の公演です」
そう言って、穏やかに微笑えんだ。
僕は曖昧に笑うことしかできず、話はそれで終わった。
東由多加が癌に侵されていることを知ったのは、その少し後だった。

higashi01.jpg

2000年4月20日。
東由多加が食道癌で亡くなった。54歳。
病院のベッドで野球のナイター中継を見て、テレビのスイッチを消し
「もう、いいや」と、つぶやいて横になったそうだ。
そして、それが最後の言葉になった。
葬儀の日は雨男の東由多加らしく土砂降りの雨だった。
「東京キッドブラザース」の大切なイベントや公演の初日には雨が降ることが多かった。
東由多加の没後、「東京キッドブラザース」は、劇団としての活動を終了する。
闘病の顛末は柳美里の「命」というエッセーに書かれ、映画にもなった。

今日4月20日は、東由多加の13回忌。

1978年に僕が作ったキッドのプロモーションビデオです。


nice!(70)  コメント(34)  トラックバック(0) 
共通テーマ:演劇

nice! 70

コメント 34

niki

おはようございます^^

きっと、アートの根底にあるものとは、今も昔も変わらずに
人間性とか愛とかいったものなので、その普遍性を追い求め続けた
のでしょうね。

芸術家の多くは「大人になれない」人たちなのかなと思います。
それは悪い意味ではなく、それを表現するからこそ芸術なのだなと
思います。

いくつになってもその普遍のテーマを貫き通す、彼もそんな人だったの
かもしれないですね。
by niki (2012-04-20 08:53) 

rtfk

アートに無知な私は
東京キッドブラザースは名前しか存じませんでした。。。
拝読して少しだけ知った気になりました^^)

by rtfk (2012-04-20 09:53) 

ハマコウ

東京キッドブラザーズ
活動内容を詳しくは知りませんが
大変人気があり まぶしい存在だったことは はっきりと 覚えています
by ハマコウ (2012-04-20 17:42) 

塚ぴょん

熱いです。
時代もそうだったのでしょう!

by 塚ぴょん (2012-04-20 18:32) 

楽しく生きよう

東京キッドブラザース、懐かしいですね。
その中におられたんですか。
今ばりばりの人達の名前を久しぶりに見ました。
by 楽しく生きよう (2012-04-20 18:58) 

cafelamama

nikiさん
東由多加が20代の頃「30過ぎを信じるな」とよく言っていました。
たぶん「大人になりたくなかった」のかもしれません。
キッドブラザースのテーマも、そこにあったように思います。



by cafelamama (2012-04-20 22:12) 

リキマルコ

東京キッドブラザーズを知ったのは柴田恭平さんが活躍されていたときです!
現実の世界を知ってしまうと子供の頃の純粋な心を封印してしまうような気がします。目に見えるの形だけが真実だと思うからでしょうか・・・純粋だけでは生きてはいけませんが大人にならない部分があるのも私は好きです^^
by リキマルコ (2012-04-20 22:30) 

cafelamama

rtfk さま
今でも、キッドの残党たちが6月に新しい芝居をやろうとしています。


by cafelamama (2012-04-20 22:38) 

cafelamama

ハマコウさま
演劇の公演を武道館でやった劇団はキッドだけだと思います。
大きな箱でやればいいというものではないんですが…
by cafelamama (2012-04-20 22:43) 

cafelamama

塚ぴょんさま
熱い時代だったといえば、確かにそうだと思います。
そして、その時代を体験した人でなければ、その熱さは理解できないかもしれません。
by cafelamama (2012-04-20 22:51) 

cafelamama

楽しき生きようさま
イラストレーターのペーター佐藤も、キッドの俳優でした。
亡くなった方も何人かいますが、あの時代の人たち、みんな元気ですね。
by cafelamama (2012-04-20 22:58) 

cafelamama

リキマルコ様
たしかに柴田さんの登場でキッドはメジャーな劇団になりました。キッドの演劇の要素の中には、大人になりきれない未熟さや生きていくことの孤独感のようなものがセンチメンタルに描かれることがあって、そういうものが僕はとても好きでした。
by cafelamama (2012-04-20 23:13) 

sigedonn

おはようございます。
プロモーションビデオ拝見。うーん、出だしの撮り方は、いいですね。
そうだったんですね。深くかかわっていらしなんですね。
1971年だったと思います。オーディションは。
上京した黒ヘルの活動を見失い、街頭詩人の生活も揺らぎ、友人が夏に自殺して、揺れ動いていた時だったと思います。いろいろとつながって思い出されます。すみません長々と。
by sigedonn (2012-04-21 09:15) 

はなだ雲

cafelamamaさんが作られたプロモーションビデオ見ました
私も出だしの、カメラが急に人の合間を走り始め音楽が鳴り始めるところ
とても気に入りました、尖ってて、いいです
by はなだ雲 (2012-04-21 16:54) 

そらへい

私も30前に田舎に帰り、現実の細々としたことに追われるようになりました。
かつての思いを捨てたわけではないけれど
忘れたふりをしているうちにいつの間にか現実にどっぷりと。
このプロモーションビデオには
当時の東京キッドブラザーズが凝縮されているのでしょうね。
三浦浩一さんもおられたとは知りませんでした。
by そらへい (2012-04-21 20:09) 

cafelamama

sigedonさま
1971年のオーディションだと、
「八犬伝」か「西遊記」という芝居ではないでしょうか。
70年代初頭、確かに揺れ動いていた時代です。
でも、あんなに時間の密度の濃い時代はなかったように思います。
by cafelamama (2012-04-21 20:11) 

cafelamama

はなだ雲さま
コメントありがとうございます。
プロモーションビデオは30数年前に16㎜で撮影しました。
by cafelamama (2012-04-21 21:03) 

cafelamama

そらへいさま
この映像は1978年だったと思うので
キッドの第二世代のメンバーが中心です。
この頃は三浦さんもいました。
三浦さんは今でもキッドに熱い思いを持っていらっしゃいます。
by cafelamama (2012-04-21 21:10) 

さきしなのてるりん

今ならくさい、と言われそうな、そしてまっすぐ見てられないような照れくささを感じる、プロモーションビデオ。若い時でなければ撮れなかった。
by さきしなのてるりん (2012-04-21 23:36) 

(。・_・。)2k

このページ先日から毎日見てますが
どれも写真が素敵ですよね
こういう風に撮れる様になりたいと頑張っていますが
難しいですね~(^^;

by (。・_・。)2k (2012-04-22 08:38) 

リキマルコ

鯖とトマト相性いいですね♪
でも鯖嫌いの方は本当に多いですね!!私は背の青い魚が大好きなのでたまに気持ち悪がられます(-o-;)


by リキマルコ (2012-04-22 15:37) 

okin-02

始めまして
我がブログに訪問 nice!有難う御座います。
是からも・お暇な時はお立ち寄りの程、宜しくお願いします。
by okin-02 (2012-04-22 17:35) 

cafelamama

てるりんさま
おっしゃる通り、今なら気恥ずかしくて撮らないでしょうね。
自分も23歳で、大好きなキッドブラザースを撮影できることの嬉しさだけで作っていました。
by cafelamama (2012-04-23 07:56) 

cafelamama

2kさま
コメントありがとうございます。
by cafelamama (2012-04-23 08:41) 

リキマルコ

トマトに挑戦ですか!!またアップしてくださいね~♪うちはプランターでミニトマトを育てていますが、これを畑に移植するか検討中です!
あっ!ピーマンの芽がやっと出てきました(##^^)v
by リキマルコ (2012-04-23 11:03) 

tommy88

饒舌な時代というか、字余りな感じだったように思います。そのくせ、1950年代後半の日活映画は大好きでした。かなり感覚的な言葉が字余り感満載で、かろうじて台詞を言い切るようなもろさの中にいた芦川いづみをずっとテレビ放送で追っかけておりました。・・・柴田恭兵はあこがれました。
by tommy88 (2012-04-24 05:23) 

cafelamama

tommy88さま
芦川いづみ、僕もファンです。
「乳母車」とか、いいですね。
「硝子のジョニー 野獣のようにみえて」これ、放送してくれないかな、と思っています。DVDレンタルはないんです。
by cafelamama (2012-04-24 06:23) 

リキマルコ

ジャガイモの芽でてきましたか^^私もほっとしました!
でも間隔が広かったようで、いつも教えてくださるお爺さんに「馬鹿でかいじゃがいもできるわ^^;」と言われて(-0-)こうして覚えていくんですね^^
by リキマルコ (2012-04-25 16:10) 

リキマルコ

ご心配いただきありがとうございます(^ー^)
黄砂で毎年体調が崩れます…今日は楽でしたが、あともう少しの辛抱ですので乗りきります(^-^)v
by リキマルコ (2012-04-26 18:54) 

リキマルコ

cafelamamaさんは晩酌はされないんですね!
私もそろそろそうしたいんですが・・・なんせおかずがアテっぽいもので^^;つい飲んでしまいます・・(-0-;)
by リキマルコ (2012-04-28 17:00) 

tromboneimai

東京キッドブラザースに深く関わられていらっしゃったんですね。映像も拝見しました。今の時代とは違う感性、ちょっと眩しさを感じながら懐かしく拝見しました。
キッドのファンでしたが新宿のシアター365で、「同じ一つのドア」を見たのが最初で最後でした。団塊の世代の方とは10歳くらい違ったので、自分からすると憧れを持ちながら眺めていた記憶があります。坪田直子さんの熱烈なファンでしたので、映画になった「ピーターソンの鳥」がとても印象的でした。池袋の文芸地下で二本立てで見たのが懐かしいです。
by tromboneimai (2012-05-03 01:49) 

cafelamama

tromboneimaiさま
「ピーターソンの鳥」ご存知でしたか。
シアター365、1年間限定の劇場でしたが、
いろんな思い出があります。
by cafelamama (2012-05-03 08:32) 

リキマルコ

スイカも植えられたんですね、いろいろな夏野菜楽しみですね♪
こちらは昨日が大荒れだったのですが、畑に行くことができず、どうなっているか…(-o-;)育苗中のピーマンはだんだん大きくなったきたのでほっとしております。
明日は覗きに行ってみます!!
by リキマルコ (2012-05-03 18:17) 

アビッチ3号

プロモーションビデオ観ました(^_^)
若い!あんな髪型で、あんな格好してました。街中で踊ったりはしてませんけどね( ^ω^ ) ギラギラした感じがイイです!途中の女の子は茨城訛りでしょうか?これまた懐かしい言葉だったように思います。
ワクワクする仕事だったんじゃないですか。目の前で観れるなんて羨ましいです(^_−)−☆
by アビッチ3号 (2014-03-26 07:09) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

漂泊の歌人 下田逸郎修司忌 ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。