修司忌 [寺山修司]
5月4日は、寺山修司の命日。修司忌。
僕が十代の頃、最も先鋭的で影響力を持った人物は、まぎれもなく寺山修司だった。
寺山修司の肩書は無数にある。
「天井桟敷」主宰として有名だが、劇作家、演出家、詩人、俳人、歌人、作詞家、
エッセイスト、映画監督、小説家、写真家、 競馬評論家…
多彩な経歴をもっているが、デビューは歌人としてだった。
「われに五月を」は、寺山修司が十代の時に書いた作品集。
十代の頃のみずみずしい感性が、言葉によって永遠に焼き付けられている。
「二十才 僕は五月に誕生した
僕は木の葉をふみ若い樹木たちをよんでみる
いまこそ時 僕は僕の季節の入り口で
はにかみながら鳥たちへ
手をあげてみる
二十才 僕は五月に誕生した」
寺山さんはいつも、はにかんでいた。
はにかみながら、とてつもない言葉が機関銃のように出てくる。
そして、魅惑的な嘘をつく。
「子供の頃、映画館のスクリーンの裏で暮らしていたので、
僕の部屋の壁には、いろいろな人生がさかさまに映っていたんです」
なんてことをぼそっと言ったりする。
十代の僕はそんな話をずっと信じていた。
ATG映画でよく見ましたよ。
「田園に死す」とても不思議な映画でした。
「書を捨てよ町へ出よう」も見ましたよ。
by 八犬伝 (2012-05-03 21:53)
こんばんはcafelamamaさん
私の愛読書は「馬敗れて草原あり」でした
競馬の楽しさの幅を広げてくれた人です
・・ところでcafelamamaさん!
akiponさんとは、リアルご兄弟なのですか?
だとしたら、ものすごい衝撃事実・・
by はなだ雲 (2012-05-03 22:24)
あたしのこころの中にも
寺山がいます・・・。
by tamanossimo (2012-05-03 22:48)
「身捨つるほどの祖国はありや」・・・・ですね。
by niki (2012-05-03 23:02)
ぼくのような小心者の小市民にとって、寺山修司というのは
とてつもなく得体の知れない怪物のように映っていました。
50歳ぐらいで亡くなったような漠然たる記憶があったのですが、
検索してみたら47歳だったんですね。
早死にですよねえ。いつの間にか、ぼくのほうが10歳以上も
上になっちゃいました。。
by song4u (2012-05-03 23:16)
今度読んでみます(^^;
by (。・_・。)2k (2012-05-03 23:35)
八犬伝さま
「書を捨てよ町へ出よう」も「田園に死す」も、すごい面白かったですね。
「田園に死す」を観る前に、たまたま映画の音楽録音中の寺山さんを訪ねたことがあって、スタジオから聞こえてくる音楽に鳥肌が立った覚えがあります。
映画も、素晴らしいものでした。
by cafelamama (2012-05-04 00:19)
はなだ雲さま
「馬敗れて草原あり」は、
負けた馬の美学について、書かれていましたね。
寺山さんは逃げ馬が好きだったようです。
当時、報知新聞?に競馬予想を載せていて
僕も毎週面白く読んでいました。
by cafelamama (2012-05-04 00:24)
tamanossimoさま
あたしのこころの中にも寺山がいる…。
ドキッとしました。
寺山さん、女性にはかなりモテてました。
by cafelamama (2012-05-04 00:27)
nikiさま
「マッチ擦る つかのま海に霧ふかし 見捨つるほどの~祖国はありや」
マッチの火から祖国へと広がる壮大な短歌ですね。
高校生のころ、阿字ヶ浦の海岸で何度もその短歌を口ずさみ、タバコに火をつけたものです。
by cafelamama (2012-05-04 00:34)
song4uさま
ほんとうに、亡くなるのはずいぶんと早かったですよね。
創造力の怪物のような人だったと思います。
とめどなくいろいろなことに挑戦し、
そのすべてが刺激的でした。
by cafelamama (2012-05-04 00:44)
2kさま
機会があれば、ぜひご一読を。
多くの著作がありますが、
「われに五月」は、思春期のみずみずしい感性を
思い出させてくれる本だと思います。
by cafelamama (2012-05-04 00:47)
「ATG映画」などというフレーズを垣間見、懐かしく思います。三百人劇場へよく見に行きました。東京時代、つきあっていた女性が日本映画好き。その次におつきあいした女性が演劇人。どちらも遠い未来を見て長続きはしませんでしたが、たくさんの影響を受けた女性たち。私は迷惑を垂れ流しただけですけど。演劇も、邦画も見まくった時代でした。・・・寺山、よその家に忍び込んで下着を盗む幼さは共感しながらも、アホやなぁと思いました。着衣のまま本体を盗めよと。
by tommy88 (2012-05-04 06:40)
名前はよくラジオで「寺山修司作・・・」と言うのを言っていたのでおぼえています。
多彩な方だったんですね。
コメントありがとうございます。
前向きになろうとしていると言ったところです。
by 楽しく生きよう (2012-05-04 06:48)
コメント書いてみてから、やっぱりよく知らない人だなと気が付いて消しました。名前と、天井桟敷の題名と、家にある奇妙な童謡集の編集者であること以外は。同世代で気にはなる人でしたが、まじめな私には?ななめさについて行かれないなと思ってました。童謡集はそれなりに面白い構成でしたが。
by さきしなのてるりん (2012-05-04 16:31)
tommy88さま
寺山さんの、その事件は僕にもショックでした。
そのことが原因でバッシングされ肝硬変がすすみ、
3年後に亡くなりました。
by cafelamama (2012-05-05 00:07)
楽しく生きよう様
寺山修司はあまりにも多彩で、その多彩さゆえに
いろいろな誤解がつきまといました。
それが残念です。
by cafelamama (2012-05-05 00:09)
てるりん様
寺山修司のななめさが僕には魅惑的です。
ある種の毒が人の心をとらえるのと同じように。
そして思春期には、その毒にまっとうに発情することで
人は健全に成長するのだと僕は思っています。
by cafelamama (2012-05-05 00:19)
こんなにたくさんの肩書きをお持ちだったとは知りませんでした。
あまり良く知っているわけではありませんが、私の中の印象は不思議な優しさって感じでしょうか・・
by リキマルコ (2012-05-05 16:33)
コメントありがとうございます。ヘップバーンいいですよね!
by susu-38 (2012-05-05 22:45)
昔、某レコード会社に在籍中。レコードジャケットの見本に「だいせんじがけだらなよさ」と印刷されていた。何だこれは?タイトルが逆読みになっているじゃないか。これは、ミスプリだと騒いだことがありまして、上司が販促に問い合わせたところ、それでいいんだとの返事。
カルメン・マキの 「さよならだけが人生ならば」の副タイトルでした。
寺山さんが寵児だったころ。
by beny (2012-05-06 08:26)
こんにちは^^)
とうとう彼が亡くなった年齢を越えてしまう
自分の小ささに恥じ入るばかりです。
by rtfk (2012-05-06 13:01)
benyさま
「さよならだけが人生ならば」懐かしいです。
この曲も寺山さんの作詞でしたね。
カルメン・マキがロックを歌いだしたころ、
新宿のルイードへよく観に行きました。
その後、東京キッドブラザースの芝居にも出ていました。
by cafelamama (2012-05-06 22:10)
rtfkさま
僕も、同じ思いです。
巨人の存在はいつまでも大きく、
その足元にさえ、たどり着けません。
by cafelamama (2012-05-06 22:14)
最近は雨が多くて畑ほったらかしです…(-o-;)次の雑草取りが怖いです!!
by リキマルコ (2012-05-09 07:29)
リキマルコ様
なかなか天気が安定しませんね。
雨後の雑草の伸びはすごいですよ。
by cafelamama (2012-05-10 14:06)
あっっっっ! 寺山さん・・・・(◎o◎)
あっしは、寺山さんの存在がなかったら、短歌も俳句も創ろうとは思わなかったでやすね。
あくまで あっしの主観でやすが
寺山修司は 書き言葉の巨匠
松本俊夫は 映像の巨匠
と認識してやす。
by ぼんぼちぼちぼち (2012-05-10 19:41)
ぼんぼちぼちぼち様
以前も書きましたが、
僕は松本俊夫の本で映画の奥深さを知るようになりました。
高校時代の僕は寺山さんや松本俊夫にそうとう影響を受けていたと思います。
by cafelamama (2012-05-11 08:23)