SSブログ

画廊の女 [美術]

カシニョール.jpg

会社務めをしていた頃の話。

ある日、打ち合わせが早く終わったので、通りがかった銀座の画廊に、ふと立ち寄った。

その画廊には、カシニョールのリトグラフがたくさん展示してあった。

ぼんやりと眺めていたら、近くで絵を見ていた女性が声をかけてきた。

「絵は、お好きですか?」

彼女は、ボストンフレームのメガネをかけ「アニー・ホール」に出てきたダイアン・キートンのように

着くずしたベストに、サイケデリックな幅広のネクタイをしていた。

「ええ、まあ…」

絵を見に入ったのだから「いいえ」とは言いにくいし、曖昧に答えた。

「画廊には、よく来るの?」

「たまに…」

フレンドリーな口調で訊いてきたので、僕も少し砕けた感じで答えた。

「この中では、どれが好き?」

「うーん、赤い背景のやつ・・・」

その絵に特に惹かれたわけではないが、彼女との会話を続けたかったので適当に答えた。

「私も、あの絵がいちばん好きなの。好みが似てる」

「へぇ、そうなんだ」

短いやりとりの間に、いつのまにか僕は気が緩んでいた。

「今なら、お求め安くなっているんですよ」

我に返った。彼女は一般客ではなく絵の販売員だったのだ。

「いや、絵を買いにきたわけではないんです…」

「絵なんて出合いですから。その時いいと思われたものを買うのがいちばんなんです」

「お金もないし…」

「画廊にお金持ってくる人なんていませんわ。お支払いは後でいいんです」

必死で断ったつもりだが、彼女の猛攻はさらに続いた。

「こんな高いもの買えません…」

「25万円はお買い得です。それに分割払いもご利用いただけます」

彼女の言動には、僕にNOと言わせないようなシミュレーションが組まれていたのだ、と思う。

真綿で首を絞められるような状況の中でもがいたが、

「要りません」とは言えない状況になっていた。

いつのまにか僕はテーブルに座り、分割払い用の書類にサインをしていた。

瞬間、家内が自動車教習所に通うので、25万ぐらい必要だと言っていたことを思い出した。

家内に、このことをどう言えばいいのかを考えると憂鬱になった。

1週間後、僕の生活には不似合いな額付のリトグラフが送られてきた。

この話には続きがある。

ジェームズ・リジィ.jpg

2年後、僕は会社務めを辞め、フリーランスとして仕事をしていた。

ロケでニューヨークに行ったとき、ソーホーのギャラリーで面白いリトグラフを見つけた。

Tom Tom Clubのレコードジャケットで有名になったジェームズ・リジィの立体リトグラフだった。

500ドルなら買ってもいいかと思ってその絵を見ていると、後ろで僕の名を呼ぶ女性の声がした。

「以前、カシニョールの絵をお求めいただきまして・・・」

ふり返ると、そこに立っていたのは、なんと銀座の画廊で僕に絵を売りつけた女性だった。

彼女は、アラン・ミクリのメガネをかけ、ヨウジ・ヤマモトのAラインのワンピースを着ていた。

銀座時代より洗練されたように見えた。

「ニューヨークなら、手ごろな値段でアートが手に入ります」

などと、いっぱしのワーキング・ガールのようなことをおっしゃる。

彼女は、銀座の画廊からニューヨークのギャラリーへ転職していたのだ。

釈然としないまま、僕はその絵を買った。

今回は分割払いではなく、アメックスの一括払いで。

期せずして同じ人から2度、僕は絵を買ってしまったのだ。

それ以来、絵を買ったことがない。
nice!(87)  コメント(55)  トラックバック(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

nice! 87

コメント 55

さきしなのてるりん

よほどその彼女はトークがツボを得ているのか。
by さきしなのてるりん (2012-09-05 22:11) 

八犬伝

うわぁあ~
なんという偶然
しかも吸い寄せられるように、二度も買ってしまうとは
余程のセールトークを持った女性だったのですね。
by 八犬伝 (2012-09-05 22:18) 

sigedonn

なかなかのお話です。
でも、この二枚、素敵ですね。
by sigedonn (2012-09-05 23:48) 

NO14Ruggerman

二度あることは何とやら・・なる諺を
思い浮かべてしまします。
でもひょっとしてその出会いを期待されて
いる風にも見受けられるような・・・
by NO14Ruggerman (2012-09-06 00:13) 

tromboneimai

そしてNYで奇遇な再会を果たしたその女性とは??(笑)
素適なお話をありがとうございました。
by tromboneimai (2012-09-06 06:14) 

engrid

その、不思議な出会いに惹かれますね
絵にも、その方にも、、立ち止まってしまうオーラがあるとうことかしら、、、素敵なお話とおもいます、

by engrid (2012-09-06 06:32) 

rtfk

素敵なお話ですね♬
不思議な出会いってあるものですね。。。
相手の女性は気が付かなかったのでしょうか?

by rtfk (2012-09-06 08:06) 

cafelamama

さきしなのてるりんさま
当時の僕では、彼女には歯が立ちませんでした。
by cafelamama (2012-09-06 10:49) 

cafelamama

八犬伝さま
この時は僕も若かったったので、
こういうセールストークを拒否できなかったんですね。
それにしても、すごい女性でした。
by cafelamama (2012-09-06 11:31) 

cafelamama

sigedonnさま
フラッと買ってしまった絵ですが、
何かの縁があるんだろうと思っています。

by cafelamama (2012-09-06 11:48) 

cafelamama

NO14Ruggermanさま
実は、2度あることは~です。
その後もう一度その方にお会いしています。
絵を買ったニューヨークでの滞在中のある日、
レストランに入ると、その方がいたんです。
僕はスタッフと一緒だったので、声はかけませんでした。
その人とは、それ以後会うことはなくなりました。
by cafelamama (2012-09-06 11:54) 

cafelamama

tromboneimai さま
本当に奇遇な出会いでした。
上のコメントにも書きましたが、
その方とは、もう一度偶然の出会いがありました。

by cafelamama (2012-09-06 12:01) 

cafelamama

engridさま
その絵なのか、その方なのかわかりませんが、
僕を惹き付けるオーラのようなものがあったんでしょうね。
それにしても、不思議な出会いでした。
by cafelamama (2012-09-06 12:15) 

cafelamama

rtfkさま
相手の方が気付いて僕に声をかけました。
こんなところに、その方がいるとは思わなかったので、
僕のほうが戸惑いました。
by cafelamama (2012-09-06 12:18) 

リキマルコ

ジェームズ・リジィの立体リトグラフとても素敵ですね!!こういうタッチが大好きです♪
昔大阪で洋服のデザインをしていたときの師匠の書く絵がこれとそっくり(^^)
彼もジェームズ・リジィが好きだったのかなぁ~と懐かしく思い出しました(*^^*)
by リキマルコ (2012-09-06 13:02) 

夏炉冬扇

今日は。
ぎゃらりぃをしているので「絵」は次第に増えていきます。もちろん高価なものはありませんが…
by 夏炉冬扇 (2012-09-06 17:08) 

cafelamama

リキマルコさま
この人のタッチ、面白いですよね。
書けそうな感じなんだけど、真似しようとしても、なかなかできませんね。
昔の言葉でいえば「へたうま」なんでしょうね。


by cafelamama (2012-09-06 17:11) 

thisisajin

「アニー・ホール」のダイアン・キートンなら買わないわけにはいきませんね
(わはは)
by thisisajin (2012-09-06 18:08) 

cafelamama

夏炉冬扇さま
そういえば、ぎゃらりぃをやってらしたんですね。
彼女をひきぬくと、絵がバカ売れしますよ。きっと。
by cafelamama (2012-09-06 19:56) 

cafelamama

thisisajinさま
そうなんです。いつの間にか買わされていました。
2度目は自主的に買ったんですが。
by cafelamama (2012-09-06 19:57) 

マリエ

カシニョール大好きです。一枚持っています。素敵なお話ありがとうございました。なんだか映画を見ているような感じになりました。
by マリエ (2012-09-06 20:18) 

KEI

画廊という場所は多分一生縁がなさそうなので、興味深く読まさせていただきました。
むしろ、トムトムクラブに反応してしまう私です。^^;
by KEI (2012-09-06 20:24) 

Lonesome社っ長ょぉ〜

小憎らしいアプローチでしたね。NYでの偶然の再会もどうやら
彼女がRizziとcafelamamaさんを結びつけるキューピッド役を
授かったのでしょう。

Rizzi、我が家にも2点ありますよ。隠れ家を立てた時に購入
しました。ski &花束を持ったwelcome、どちらもタイトルは
覚えてませんが、結構気に入ってます。
by Lonesome社っ長ょぉ〜 (2012-09-06 20:43) 

song4u

そのまま映画になりそうなお話ですね!^^
しかし、ぼくはアラン・ミクリのメガネがどんなのかも知らないし、
ヨウジ・ヤマモトさんが誰なのかも知りません。
妙に気になったのが、2枚目のリトグラフはいくらだったんだろう?
・・・我ながら、どうしようもないなあと思いました。(笑)
by song4u (2012-09-06 21:12) 

末尾ルコ(アルベール)

わたしも以前よくギャラリーへ通っていて、画もちょいちょい買っていたんですが、オーナーさんがあからさまに「売る」という姿勢になってしまって、あまり行かなくなりました。

「アニー・ホール」のダイアン・キートンは本当に素晴らしかったですね。
それにしてもウッディ・アレンの「いい女優」に対する慧眼ぶりはいまだ衰えていません。

                                  RUKO
by 末尾ルコ(アルベール) (2012-09-07 06:06) 

cafelamama

マリエさま
80年代~90年代にかけて、カシニョールは人気がありましたね。
当時、僕には高い買い物でした。
by cafelamama (2012-09-07 06:34) 

cafelamama

KEIさま
リジィの絵を買ったのは、
前日に、トムトムクラブを、たまたまNYのCBGBで見た後だったです。


by cafelamama (2012-09-07 06:42) 

cafelamama

Lonesome社っ長ょぉ〜さま
画廊の女性とは、その後もう一度会っています。
絵を買った数日後、レストランでばったり。
僕はスタッフと一緒だったので、声を掛けませんでしたが。
リジィの絵は、元気な気分になりますね。
by cafelamama (2012-09-07 06:45) 

cafelamama

song4uさま
2枚のリトグラフ、たしか500ドルぐらいで買ったと思います。
1990年当時、ドル円為替が130~140円ぐらいでした。
by cafelamama (2012-09-07 06:48) 

cafelamama

RUKOさま
あの頃のダイアン・キートンは、よかったですね。
「ゴッドファーザー」のケイ役も、僕は好きでした。

by cafelamama (2012-09-07 07:20) 

beny

 カシニョールの絵は買えませんが、画集の本は持ってます。98%が女性で2パーセントが庭園ですね。
 2回も画廊で会うなんて相手の女性は、cafelamamaさんを、よほどの絵画好きと見たでしょうね。自分が一番好きな画家はホッパーです。
by beny (2012-09-07 08:32) 

cafelamama

benyさま
ホッパー、いいですねぇ。
都会の光と影を描いた作品が多いですが、僕も大好きです。
早朝、夕暮れ、夜。どの時間帯もアンニュイな光が漏れています。
本物は見たことありませんが。
by cafelamama (2012-09-07 09:12) 

(。・_・。)2k

次はパリやミラノで逢っちゃったりして(^^;
僕は夢路 夢二の画が好きです
いつも浅草に行くと欲しいな~と思う画を眺めてます

by (。・_・。)2k (2012-09-07 12:38) 

cafelamama

2kさま
次に会ったのは、数日後のレストランでした。
それも、偶然ばったり。
ちょっと怖かったです。
by cafelamama (2012-09-07 13:39) 

珊 愛

こんにちは。
赤い背景が印象的な絵ですね。
それにしても、ドラマや映画みたいなお話ですね~。
絵というのは、人生の中で買うか買わないか、はっきり分かれる位
高価なものですし。
しかも場所や時間を変えてまで、同じ女性からというのは、
ご縁のあるものだったのですね。
その女性もcafelamamaさんのことを憶えていたんですよね。
タイトルの「画廊の女」、そのままドラマタイトルになりそうです^^
by 珊 愛 (2012-09-07 17:10) 

ダミアン88

すごいお話ですね。
色んな楽器屋で「冷やかしなら帰ってくれ」
と何故か追い払われる僕とは正反対です・・・(^^;
やはり雰囲気、人となりですねえ。

by ダミアン88 (2012-09-07 18:43) 

hatumi30331

これって、笑ってもいい話し?(笑)
彼女の燃えるような生き方が、偶然を呼んだのかな?^^;

絵は・・・大事にして下さい。^^
by hatumi30331 (2012-09-07 21:40) 

cafelamama

珊 愛さま
絵を買うなんて、あまり考えたこともなかったんですが、
縁があったんでしょうね。
このできごとを記事にして読み返すと、
たしかにテレビのサスペンスドラマのようなワンシーンに思えますね。
その後、その人ともう一度、レストランで偶然会うことがあったんですが、
3度会うと、ストーカーを疑うような怖さを感じました。
by cafelamama (2012-09-08 06:58) 

cafelamama

ダミアン88 さま
僕は勧誘やセールスに弱いところがあり、
断るのが下手なんですね。
子供を連れて布教に来る宗教グループを家に入れて
家内に叱られたこともあるほどです。

by cafelamama (2012-09-08 07:12) 

cafelamama

hatsumiさん
笑っていい話ですよ。
セールストークに押し切られてしまった話ですから。
by cafelamama (2012-09-08 07:32) 

青竹

なるほど、高額の絵を購入させるためには
最初はやんわりと近づき、相手と同じ思考にしておいて
最後は一気に押し切るのですね。
by 青竹 (2012-09-08 15:47) 

そらへい

カシニョールのリトグラフ、赤が印象的ですね。
私も絵画は好きですが、見たり描いたりの方で
買うことは考えたことがないというか、
その代金をほかのことに使ってしまいそうです。
で、額縁の中身はいつもの安物印刷物でごまかしています。
女性との不思議なご縁、
電気量販店でのセールスや紳士服店などと違って
銀座の画廊やニューヨークの画廊というシィチュエーションが
それこそ絵になりますね。

by そらへい (2012-09-08 17:18) 

はなだ雲

絵を買うならこの人から、って
cafelamamaさんの人生の筋書きで
生まれた時から決まっていたんでしょうか、面白い縁ですネ
セールストークじゃないけれど
絵を買うタイミングって、ほんとうに特別な「ご縁」かなと思います
by はなだ雲 (2012-09-08 17:53) 

cafelamama

青竹様
そのとおりです。
相手と同じ思考にしておいて、というところが
実際には、なかなか難しいと思います。
相手が断るパターンを、いくつか想定して、
状況にあったトークを準備しているんでしょうね。
僕はセールスや勧誘に弱いタイプですが、
ほんとうに、どうすることもできませんでした。

by cafelamama (2012-09-09 07:35) 

cafelamama

そらへいさん
小学校の時、切手を少し集めたぐらいで僕は収集癖はまったくありません。
本物に高いお金を出すなら、同じようなレプリカで十分だと思っています。
本物とレプリカの違いに僕はあまりこだわりません。
そして、その分を、ほかのことにお金を使ったほうがいいともと思います。
ただ、この女性は真綿で絞めてくるんです。
細かいことは忘れましたが、僕にNOと言わせない
周到な受け答えが準備されていたんです。
30歳の僕には、逃れようがありませんでした。
by cafelamama (2012-09-09 07:51) 

cafelamama

はなだ雲さま
縁といえば、そうかもしれませんね。
絵を買うなんて、思いもしなかったんですが、
その女性の前では、断ることができませんでした。
自分の優柔不断さにあきれました。
by cafelamama (2012-09-09 08:33) 

末尾ルコ(アルベール)

奥田瑛二の素晴らしさは映画のためなら資材を投げ打つPASSIONですね。
こういう人は文句なしに尊敬してしまいます。

「マンハッタン」とか「インテリア」のダイアン・キートンも素晴らしかった…。

                               RUKO                      


by 末尾ルコ(アルベール) (2012-09-09 11:15) 

めい

映画のストーリーのような体験をなさいましたね
ニコニコしながら読んでしまいました
不本意で購入された絵なのかもしれませんが
とてもステキです。

by めい (2012-09-09 17:19) 

月夜のうずのしゅげ

2枚ともとてもよい買い物でしたね。3度目に会うのが仲間と一緒でよかったですね。4度目に会う約束を彼女にさせられなくて。身を引いた方が無難でしょう。
by 月夜のうずのしゅげ (2012-09-09 21:37) 

cafelamama

めいさま
1枚目は不本意な買い物でした。
2枚目は自分の意志で買ったものでした。
しかし、それを同じ人から買ってしまったことが、ひっかかるんです。
釈然としないんです。

by cafelamama (2012-09-09 22:06) 

cafelamama

月夜のうずしゅげさま
3度目に、その女性とレストランで遭遇した時は、ちょっと怖かったなぁ。
当時「危険な情事」という映画が流行っていたころなので、
ストーカーだったらどうしようとなどと、勝手な想像をしてしまったんです。
今思えば、偶然が重なっただけなんですが。
by cafelamama (2012-09-09 22:19) 

リキマルコ

そういえばへたうまって言葉最近使わないですね!!死語なんでしょうか…(-_-;)
by リキマルコ (2012-09-10 16:16) 

alo-had

すごいな。
なんだか。
どういう運命なのでしょう?w w w


by alo-had (2012-09-11 19:01) 

cafelamama

alo-hadさま
自分でも不思議な出会いだと思います。
by cafelamama (2012-09-12 13:45) 

駅員3

なんと、不思議な縁ですね。
すつかり読みいってしまいました。
銀座での様子、ニューヨークでの様子が、ありありと目に浮かびます。
いいお買い物だったと思います。
by 駅員3 (2012-09-17 10:06) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

映写技師に花束を驟雨 ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。