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大島渚の訃報 [映画]

映画監督 大島渚が亡くなりました。

大島渚は、一貫して権力構造に対峙し続けた、戦う映画監督でした。

大島渚.jpg

大島作品を初めて観たとき、なんと難解で知的でパンクな映画なんだろうと思った。

一般の映画は物語や感情の起伏を描きながらカタルシスに導いていくが、

大島作品は、作品のテーマについて観客に問題提起を促す作品が多い。

そして、情緒的な映画文法を次々に破壊し、かなり実験的なことを積極的に試み、

過激ともいえる映画作法で作品を作り続けた。

そのために、映画としては少々観づらい作品だという印象もあった。

たとえば、まったく演技経験のない人を俳優に起用したり、

劇映画の中にインタヴュー映像をインサートしたり、

写真とナレーションだけで映画を構成したり、

極端に少ないカット数で映画を撮ったり、

逆に極端に多いカット数で映画を撮ったり、

丹念に物語を紡ぐかと思えば、あえて物語の統合を拒否してしまったりもする。

国内では上映不可能なハードコア作品にも挑戦した。

そうすることで、生涯にわたって反権力への姿勢を貫き、円熟した職人になることを拒んだ。

映画監督は自分のスタイルを確立するまで様々な試行錯誤を繰り返す。

そのスタイルが自分の表現に見合うものなら、それを確立して発展させようとする。

溝口健二しかり、成瀬巳喜男しかり、小津安二郎しかりである。

しかし大島渚は、映画のスタイルや表現コンセプトを次々と更新していく映画監督だった。

今日、久しぶりに「日本の夜と霧」「青春残酷物語」の2本をDVDで観直した。

ゴダールをして、大島渚の「青春残酷物語」こそが、

本当の意味でのヌーヴェルヴァーグの最初の作品だと、言わしめたことも頷ける気がした。

映画監督として矜持と気骨を持って生きてきた人なんだな、としみじみ思う。

ご冥福を祈ります。


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