ジャズ喫茶 [70年代クロニクルズ]
熱心なジャズファンでもないのに、ジャズ喫茶にはよく通った。
70年代、水戸には数軒のジャズ喫茶があった。
水戸駅近くにあった「S&F」という店は、昼の12時頃から店を開けていたので
時々、学校をサボって昼間からその店で時間をつぶすことがあった。
「S&F」は私語厳禁のストイックなジャズ喫茶ではなく、いつも適度な客のざわめきに満ちていた。
タバコをおぼえたのも、その店だった。
当時の喫茶店でコーヒーを注文すると、80円~100円ぐらいだったが「S&F」は150円もした。
50円はレコード代だよ、と客の誰かが教えてくれた。
店には、ビル・エヴァンスやコルトレーンなんかが流れ
本棚には「スイングジャーナル」「現代詩手帳」「美術手帳」が並んでいた。
夕方からの映画館のバイトのあとで、もう一度「S&F」に行くこともあった。
夜は、ジャズヴォーカル中心の選曲になり、酒も出すので店の雰囲気は少し変わる。
「S&F」に行くようになったのは、同じ高校の女の子が、その店のことをよく話していたからだ。
彼女とはクラスは違うが、レコードの貸し借りのようなことを2~3度やったことがあった。
僕と同じ年とは思えないほど早熟な女の子で、フランソワーズ・サガンやサリンジャーを愛読し
アメリカで発刊された「WHOLE EARTH CATALOG」のことなどを教えてくれた。
とがった顎と薄情そうな唇が、とても大人びて見えた。
彼女の話を聞いていると、世の中のことを何も知らない自分が痛々しく思えた。
高校2年の秋、彼女は突然退学してしまった。
彼女と仲のよかった友人に聞いても、消息を知るものは誰もいなかった。
彼女とは、それっきりだった。
付き合っていたわけではないけど、とても気になる存在だった。
ある日、彼女が話していた「S&F」を訪ねてみた。
狭い階段を上がった2階にその店はあり、入口の頑丈な木製のドアはどこか威圧感があって
入るのをためらうほどだった。
薄暗い店内は現実と隔絶された隠れ家のような雰囲気で
彼女の言っていた「スゴクいい」の意味が分かるような気がした。
それがきっかけで僕は「S&F」に行くようになった。
やがて僕も東京で暮らすようになり、たまにジャズ喫茶に行くと彼女のことを思い出した。
新宿の「DUG」「DIG」吉祥寺の「OUTBACK」「Funky」横浜の「ちぐさ」
村上春樹が店主をしていた千駄ヶ谷の「ピーターキャット」…
社会人になると彼女のことを思い出すことはなくなっていた。
昨年、久しぶりに「S&F」に行ってみた。
40数年前と同じ場所にソニー・ロリンズのポスターが貼ってあり、店主も僕のことを憶えていた。
「昔、うちによく来てた女の子がファラオ・サンダースと結婚してニューヨークに住んでいる」
と、店主が言った。
ファラオ・サンダースは、コルトレーンの後継者と言われたNYのサックスプレーヤーだ。
話を聞くと、その女の子はやはり同じ高校の、あの彼女だった。
高校を辞め、東京でアルバイトをしてお金を貯め、NYへ渡ったらしい。
うまく言えないが、とても彼女らしいと思った。
高校を中退し、どんな思いでNYへ渡り、どんな人を愛し、どんな風に生きていたのだろう。
コルトレーンのバラッズを聴きながら、僕はぼんやりと、あの70年代のことを考える。
へええ~、なかなかやりますね彼女。
一途な性格だったのでしょうね。
by 八犬伝 (2013-10-31 21:42)
70年代って、今にして思えば、めくるめく夢のような一瞬でした。
刺激的であり、冒険心にも満ちていたけど、安らぎもありました。
良く分からないことも多かったけど、分からなくても全然困らなかった。
寝るのが惜しかったですね。一日が30時間欲しかったです。
by song4u (2013-10-31 21:42)
私もほぼ同じ時期 名前を挙げられた吉祥寺や新宿のジャズ喫茶によく行っていました。
どこかですれ違っていたかもしれませんね。
by kurakichi (2013-10-31 23:24)
再会してみたい人って
やはり その時代に出逢った人ですよね
いつか 逢える日がきたら報告して下さいね(^^)
by (。・_・。)2k (2013-11-01 00:01)
自分で切り開いて進んでいく、人生に暮らし
今も彼女は、前にへ進んでみえるのでしょうか、きっとそうですね
by engrid (2013-11-01 00:46)
素敵なちょっとタバコの匂いのする思い出ですね☆
自分が育った地方都市の古びたビルの二階にあった
JAZZ喫茶が今もあるのかが気になってきました
高校時代になんとなく通っていました
今度帰省したら見に行ってみようと思います^^)
by 獏 (2013-11-01 06:52)
S&F 行ってみたいです
70年代は今考えられないような時代でしたね~
何も分からなく必死でしたが 夢があり希望に満ちていたような~!!
by 川鮎くん (2013-11-01 06:58)
30才まで、田舎に居たので、
普通の喫茶店とパチンコ屋しか、無かったですね。。。、(笑)
by なんだかなぁ〜!! 横 濱男 (2013-11-01 07:08)
自分の人生を、自分の判断で生きる。
きっと、それが幸せなんでしょうね。
by たいへー (2013-11-01 07:41)
ジャズの世界はほとんどわからないのですが
「ジャズ喫茶」という言葉は、大人のイメージです。
お店に入るのが勇気いりそうな感じ。
でも、いったんなじんでしまえば、入り浸るかもです(笑)
by よーちゃん (2013-11-01 12:41)
■八犬伝さん
そうかもしれません。
自分を信じ自分を導いていったのかもしれません。
■song4uさん
70年代のことを考えると、きりがないですね。
ノスタルジーと言われるのを覚悟で言えば
70年代は今よりも自由な空気が流れていたように思う。
あるいは無邪気な空気なのかもしれません。
あの10年間に一生のときめきがつまっていたのではないか
とさえ思います。
■kurakichiさん
やはり、そうでしたか。
東小金井の米軍ハウスのようなところにいたので
吉祥寺はよく行きましたね。
友人と会うときは新宿でした。
■2kさん
もう一度彼女に逢いたいですね。
ご主人のファラオ・サンダースは
ブルーノート東京でもライブをやったりしていので
奥さんと同伴で来日するなら、逢える可能性もありますね。
■engridさん
彼女は70年代特有の無邪気な行動力を持った女性でした。
高校時代に刺激を受けたひとりなので
今も、NYで誰かに刺激をあたえているかもしれません。
■獏さん
高校生でジャズ喫茶に行くのは、不良だったかもしれません。
でも、学校よりはるかに刺激的で面白かったです。
いろんな音楽を知り、いろんな人に出会いました。
獏さんが育った町のジャズ喫茶、あるといいですね。
■川鮎くんさん
「S&F」は、銀杏坂の郵便局近くにあります。
今はジャズ・バーになので夜の営業だけのようです。
酒を頼むと突出しが出てくるので
居酒屋になったのかと思いましたが
店の雰囲気は当時のままでした。
■なんだかなぁ〜!! 横 濱男さん
田舎町にも不良のたまり場のようなところはあったのでは。
ジャズ喫茶も、どこかそんな雰囲気がありました。
僕にとっては大人になるための通過地点だったんだと思っています。
■たいへーさん
おっしゃるとおりです。
見る前に跳べっていう時代だったんですね。
最近は、情報がありすぎて逆につまらないです。
■よーちゃんさん
最初に店に入るとき、やはり躊躇しました。
あの威圧感のあるドアはに
お前はジャズを知っているのか
と試されているような気になりました。
扉を開けてしまえば、居心地はよかったです。
by cafelamama (2013-11-01 14:22)
東京時代にジャズに目覚め、ライブハウスにはよく通いましたし、
CDも集めました。
仙台に転勤になり、ライブハウスは少なかったものの、
カウントというジャズ喫茶があり、連日のように通い、カウンターでビールを飲みながら、マスターにいろいろと教えてもらったものです。
岩手の一関にベイシーというジャズ喫茶があり、ここは広くてライブも開催されていましたね。
二つの店名を合わせるとカウント・ベイシー。
笑ってしまいました。
懐かしい思い出です。
by あるいる (2013-11-01 16:25)
彼女はとても行動力のある女性だったのですね。
そこに自分を置き替えてみると、途中で挫折してしまいそうです。
きっと今、お幸せなんでしょうね...
by may234 (2013-11-01 17:09)
学生時代に新宿の「DUG」「DIG」は良く行きましたよ。
歌舞伎町の小さな公園の前にもありましたよね。
ipodにコルトレーン入れてますよ!
by たくや (2013-11-01 17:15)
cafelamamaさん こんにちは
レトロナ雰囲気の飾りがいいですね。シカゴで行った生演奏のお店がいつまでも思い出に残っています。いつも同じお店に行きました。狭くて熱気にあふれていました。
by SORI (2013-11-01 17:28)
私たちのお知り合いの、昭和の先輩という方が時々こちらのブログを拝見しておられて、今日メールを頂きました。
「頁頭のブルーノートのジャケットにやられました。拝読して、乗り心地の良いタイムマシンに乗ったような、ファンク(死語ですが)な気分に、・・良い時間を持てました」
よろしくお伝え下さい、とのことでしたが、
私は、????
JAZZは分かりませんが、何か大人の感じ。興味を持ってみよう♪
by さつき (2013-11-01 18:49)
ある雑誌で「バラッズ」の曲が大好きでいつまでたっても心の中でリピートされ、人生も先へ進めずレコード針同様プツンプツンを繰り返している-というような内容の記事を思い出しました。
cafelamama様は、音楽とともに良い思い出がおありですね。
by beny (2013-11-01 21:03)
ファラオ・サンダースの日本人の奥さんのことは
どこかで聞いたことがあるような気がします。
しかし、cafelamamaさんの同級生だったとは
サガンやサリンジャー、私より少し後の世代とは言え
高2では早熟ですよね。
東京にいる頃はジャズ喫茶巡りをよくしましたが
さすがに水戸までは足を伸ばせませんでした。
今も健在なんて、すてきですね。
by そらへい (2013-11-01 21:42)
今晩は。
都会育ちの方は違います。
by 夏炉冬扇 (2013-11-01 21:59)
素敵なお話しをありがとうございました。
どこか心の奥底が、ざわつき、そしてなにかほのかな灯りを感じました。
僕なんかがいい加減に書く話しと重さが違いますね。
Ford GPW のことは、次の記事をご覧ください。
http://kotarobs.blog.so-net.ne.jp/2013-10-27
by 駅員3 (2013-11-01 22:12)
とても素敵なお話ですね~^^
高校生時代は御茶ノ水のNARUに入り浸ってました。
なぜか友人とふたり、ジャズ喫茶で受験勉強。
私語禁止…、そんな雰囲気が実は集中できてよかったのかも。
でも、二人ともジャズ音痴。
by ケロヨン (2013-11-02 00:03)
「ジャズ喫茶」談義、私にも語らせてください。
ジャズ喫茶と言えば高田馬場です。
「イントロ」「マイルストーン」通い詰めておりました。
by NO14Ruggerman (2013-11-02 01:08)
雰囲気のよさそうねお店ですね。
by pandan (2013-11-02 07:43)
自分の路を自分で切り開き進んで行くってなかなか出来ることではないですよね~!お話の女性素敵です~!!ジャズはちょっと浮かれたスイング系が好きです~(^o^)v
by macinu (2013-11-02 09:12)
■あるいるさん
昔はジャズ喫茶がたくさんありましたね。
頑張って営業していた店も、ジャズ喫茶からジャズバーへと転換し、
昼間の営業をやめてしまっているようです。
昼間のジャズいいもんなんですけどね。
カウントとベイシー。まるで姉妹店のようですね。
■may234さん
行動力。そんなものが、彼女にはあったように思います。
危なっかしく見えるけど、ブレない価値観を持っていたんですね。
見る前に跳べ!を地で行くようなタイプでした。
■たくやさん
「DUG」「DIG」たくやさんも行かれていたんですね。
コルトレーンは、若いころより今のほうがじっくり聴けるようになりました。
■SORIさん
シカゴもジャズのライブは盛んですね。
ライブハウスのいいところは、
自分のすぐちかくでプレーヤーが演奏していることですね。
その一体感が、たまらないですね。
■さつきさん
そんなメールをいただいたとは。
とてもうれしく思います。
僕はそれほどジャズに詳しくありません。
ジャズ喫茶に行っていたのは映画館と同じで、
僕にとっては実人生とはちがう
いろんな世界を見ることができる場所だと思っていたからです。
昭和の先輩さんによろしくお伝えください。
■benyさん
>「バラッズ」の曲が大好きでいつまでたっても心の中でリピートされ~
この話、おもしろいですね。
バラッズは、若いころより
今のほうが味わいぶかく聴けるようになりました。
■そらへいさん
ジャズ喫茶めぐり、というほどではありませんが
当時は、そんな店がたくさんありましたね。
今は、昼間からやっている店も少なくなっているでしょうね。
夜だけのジャズバーが多いようです。
僕は夜よりは、昼間のジャズ喫茶が好きでした。
店を出ても外はまだ明るいとき
現実の時間と今まで過ごした店の時間のギャップのようなものが
気に入っていました。
■夏炉冬扇さん
いえいえ、僕は田舎育ちです。
田舎者は、街に憧れるんです。
■駅員3さん
コメントありがとうございます。
とてもうれしく思います。
それからFord GPWのリンク、ありがとうございました。
拝見し、納得いたしました。
■ケロヨンさん
私語禁止の店、けっこうありましたね。
そんなジャズ喫茶で集中して勉強する。
あ、それは考え付かなかったですね。
僕はおぼえたてのタバコばかり吸ってたので
やはりジャズ音痴です。
■NO14Ruggermanさん
高田馬場のジャズ喫茶ですか。
あの町なら、いろいろな店があったでしょうね。
「マイルストーン」は、名前だけ知っています。
Ruggermanさんのジャズ喫茶物語、今度聞かせてください。
■pandanさん
ジャズ喫茶はどの店もそうだと思いますが
隠れ家のような雰囲気があります。
■macinuさん
彼女の場合、16歳にしてブレない価値観のようなものを
もっていたような気がします。
僕が刺激を受けた理由も、そこだと思います。
スイング系、いいですね。
ビッグバンドジャズを生で聴いたことがありますが
それまでと印象が変わりました。
by cafelamama (2013-11-02 10:16)
Sonnny Clark Cool Struttinのジャケットは高校生の時ドキドキしました。岩手県一関市のジャズ喫茶「ベイシー」に行くのが田舎の高校生の…なんていうか大人びて背伸びした行動でした。ベイシー店内でボクが思わず言ったこと。「このアンプとスピーカーでロックが聴きてえ」ジャズ好きの友人が苦笑いしました(^^;)
心に響く素敵なお話しをありがとうございました。
by C_BoY (2013-11-02 10:21)
あの70年代、バカみたいに革命を信じていました。
地下鉄御堂筋線に昭和町という駅があります。
その駅で降りて地上に上がると、モンクというジャズ喫茶がありました。
私たちにとっての革命はエンタープライズ寄港阻止。
10.21国際反戦デーでの機動隊との戦い方。
そんなことを夢想しながらの学校改革を夢見ます。
制服制度廃止、頭髪の自由化。
口を開けばそんな事ばかり言い合っていました。
黙ってぼんやりしたくなる時に、ジャズ喫茶は「独り」になれました。
サッカー部の練習が終わって家に帰るまでの時間差を作るための店。
バカな高校生と一緒に電車に乗りたくない高校生でした。
セロニアス・モンクと出会って店でした。
再開発がかかったはずだから、その店はおそらくないと思います。
「高校中退」という美しさに惹かれます。(cafeはいいっですね ↓)
by tommy88 (2013-11-02 11:39)
cafelamamaさんが「ジャズ喫茶」に通う、きっかけとなった
同級生の彼女、カッコイイ人生ですね^^
私もいちおうサガンとサリンジャーにはハマったし
市ヶ谷の「ジャズ喫茶」でアルバイトもしてましたが
なんだろうこの違い!
行動と考えがイチジルシク浅いんだろうな~私のバアイ(笑)
by はなだ雲 (2013-11-02 12:28)
ジャズ喫茶、懐かしいですね!
私もジャズが好きで色々な店に行ったことを思い出しました。
素敵なお話ですね、彼女の行動力に感動です・・・(^。^)
by ken (2013-11-02 15:02)
■C_BoYさん
仙台の「カウント」一関の「ベイシー」ユニークな店名ですね。
ロックを聴いていた僕がジャズ喫茶に行っていたのは、
やはり背伸びした感覚がありました。
同年代とは違う世代の大人たちがいたからでしょうね。
そういう場所から受ける刺激のようなものに惹かれました。
■tommyさん
10.21。
その言葉の響きをとても懐かしく思いました。
当時、10.21の話を「S&F」でしていた大学生もいました。
僕にはよくわからないけど
あの時代は、世の中も自分も変わっていくという感覚がありました。
幻想だったのかもしれませんが。
制服廃止、頭髪の自由化、その問題も懐かしいですね。
僕もその二つは学校に対して反抗していました。
>ジャズ喫茶は「独り」になれました。
独りでぼんやりするには、ジャズ喫茶は最適でした。
修行僧のようなモンクとtommyさんは
秘めたエネルギーのようなものが似ているかもしれませんね。
■はなだ雲さん
若くして彼女には信念のようなものがあったのでしょうね。
そして、それを貫く直観的な行動力も備わっていたようです。
はなだ雲さん、ジャズ喫茶でバイトしてたんですか。
面白い話がいろいろありそうです。
その頃の話、今度聞かせてください。
■kenさん
昔は、たくさんのジャズ喫茶がありましたね。
そういう店を探すのが、今はたいへんです。
コーヒー一杯で何時間もいられるような店があるといいなと思います。
by cafelamama (2013-11-02 15:48)
ガキの頃、親父や親父の友人から教えてもらった”IVY”。
そこからアメリカ文化にハマった僕。
JAZZは当時も今もあまり聴いてませんが、
JAZZ喫茶というか、こういう感じで大人が集まる場所って憧れでした。
by DEBDYLAN (2013-11-02 23:25)
特別ジャズが好きと云う訳でもありませんが、私の古いカーステのCDチェンジャーに4枚のジャズアルバムが収まっています。
アート ブレーキー、リー モーガン、ジミー スミス、アーマッド ジャマルで、夜中に高速を走る時には眠気覚ましに音量大で聞いています。結構のりますよぉ~~~。
by 山子路爺 (2013-11-02 23:52)
ピーターキャットは最初、国分寺の南口にありました。
おしゃれにジャズを聴かせる店が、でき始めた頃ですね。
ジャズのジャケットはカッコイイです。(^^)b
by lequiche (2013-11-03 13:42)
■DEBDYLANさん
僕もロックを聴いていたんですが、ジャズが好きで行っていたというより
大人たちが集まっていたのが面白かったんです。
■山子路爺さん
ジャズのビート、クルマの運転に合うでしょうね。
そういえば古いフランス映画は、クルマの走行シーンで
よくジャズを使っていました。
■lequicheさん
そうですね。千駄ヶ谷の前は国分寺でした。
その頃、東小金井に住んでいたのですが
国分寺は、ほら貝に行ってました。
そこから千駄ヶ谷に越したら、ピーター・キャットがありました。
by cafelamama (2013-11-03 14:14)
興味深く拝読しました
最後にえ~~!!と思うようなオチ(?)があるのが cafelamamaさんのブログの魅力です♥
いつも楽しませてもらっています^^
認証コードの読み取りが出来なかったようでコメントが反映されていませんでした。読みとれないコードも多く困っています。
by めい (2013-11-03 19:46)
めいさん
コメントの件、お手数おかけしました。
そして、ご愛読ありがとうございます。
若いころ、お前の作るものにはオチがない!とよく言われました。
オチなんていらないじゃないかと思っていたんですが
逆にそれがトラウマになって
オチをつけるような書き方になってしまったのかもしれません。
by cafelamama (2013-11-03 23:04)
高校生の女の子が何故 JAZZが好きになったか・・
そのコトに興味を持ちました
「S&F」とは? スイングと 〇〇〇〇・・・?・・・ なんでしょう?
jazzについては全く知識がありませんが
大昔 雑誌「FMレコパル」に漫画家 石ノ森章太郎先生が
コルトレーンの半生を漫画で描いているのを読んだのを想い出しました
by タイド☆マン (2013-11-04 02:57)
ジャズ喫茶はやっぱり敷居が高くていまだに行ったことがないのです。先日、神田神保町を歩いていてちょっとこぎれいなジャズ喫茶を見つけたんですが、やっぱり入る勇気が・・・(笑)
周りにジャズに詳しい友達でもいれば行けたかも知れないと思うと、cafelamamaさんが羨ましいです。確かに昔は尖った女性、居ましたけど僕には無縁の存在でした。
by KEI (2013-11-04 03:10)
■タイド☆マンさん
Sは、Soundです。Fは、Furyです。
音と激怒。音と怒り。意味はそんな感じです。
そういえば正確な意味を聞いたことはなかったです。
横浜には、昨年復活した野毛の「ちぐさ」をはじめ
多くのジャズ喫茶、ジャズバーがありますね。
■KEIさん
ジャズ喫茶の扉は、どこか威圧的な感じで
「あんた、どこまでジャズ知ってるの?」光線を発しています。
昔は私語厳禁の店もありましたが最近はないと思います。
入ってしまえば普通の店と同じです。
神保町の店だと、ジャズ好きの学生の多いんでしょうか。
70年代は、とんがった感じの気になる女性がいましたね。
by cafelamama (2013-11-04 17:48)
WHOLE EARTH CATALOGやちぐさ等、ジャズ喫茶の思い出、ほっとする記事ですね。
by mwainfo (2013-11-04 22:54)
そのジャズ喫茶が40数年前から、まだ残っていたのも凄いですし
またそこでその女性の行方なども少し知れたのが、良かったですね。
また何年かして、その喫茶を訪れ、帰国してきた彼女とバッタリ
なんてことになれば、ドラマになりそうです。(^^)
by はまちゃん (2013-11-04 23:24)
■mwainfo さん
WHOLE EARTH CATALOGのことを
コメントしていただきうれしく思います。
この本から、いろんなカタログが出ましたね。
Made in USA カタログとか…
雑誌ではポパイがそうでした。
■はまちゃんさん
いまどき、40年前の店が、しかもジャズ喫茶が残っているといのは珍しいですよね。
ご主人のファラオ・サンダースが日本でライブをやるようなことがあれば
彼女も付いてくるでしょうね。
事実、2011年には来日コンサートをやっていたようです。
もういちどそういうことがあれば、会いに行きたいですね。
by cafelamama (2013-11-05 17:22)
こんにちは。
まさに70年代の青春映画のようなお話ですね。彼女もそんな生き方を地で行ったのかもしれませんね。
by sig (2013-11-09 16:04)