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マールトン・ホテル [70年代クロニクルズ]

1974年、7月。アルバイトで買った航空券を手に、ニューヨークへ行った。

イーストヴィレッジのラママシアターで公演する東京キッドブラザースの公演記録を

8㎜カメラで撮影するという目的があったからだ。

東由多加と関わりのある寺山修司のインタビューや、稽古シーンは既に撮り終えていたので

ニューヨークでは公演の様子を中心に劇団員たちの日常を撮る予定だった。

この旅には、結婚前の家内も同行していました。

JFK空港から乗ったバスでマンハッタンに入るとき

バスのカーラジオからサイモン&ガーファンクルの「アメリカ」が聴こえてきた。

何と言うタイミングだろうと思いながら、クイーンズボロ橋の向こうに見えるマンハッタンを眺めた。

到着した日は劇団員たちが宿泊しているロフトに泊めてもらうことにしたが

翌日からは、どこかの安宿を探さなければならなかった。

グリニッチ・ヴィレッジを探し回り、8丁目にあるマールトン・ホテルに投宿することにした。

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部屋はまずまずの広さだが、トイレとシャワールームをその階の全室で共用するタイプでした。

宿代は1週間15ドル。当時は1ドル約300円ぐらい。

ワシントン広場とNYUの校舎が目と鼻の先にあるのに何故か安いホテルだった。

その理由はすぐに判明した。

マールトン・ホテルは、ジャンキーや売春婦など、どう見てもクレイジーな人たちの巣窟だった。

「たしかにヤバい連中も住んでいる。しかし、彼らは同じねぐらの住人には手を出さない。

だから、ここはニューヨークで一番安全なホテルなんだ」

ホテルのフロントまで、そんなことを言っていた。

もっとも、他の住人にとっては僕もヤバそうな人間に見えたかもしれないが。

とりあえず1週間だけ様子をみようと、家内と一緒に荷物を運んだ。

「ウエストサイド物語」に出てくるような非常階段が興味を惹いた。

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戸惑ったことは、エレベータで見知らぬ誰かと乗り合わせたり廊下で人とすれ違うとき

誰もが気安く声をかけてくることでした。

そういう場面でのリアクションが、僕は得意ではありません。

東洋人の僕を見ると、ブルース・リーのカンフーポーズをしてみせる者もいた。

「マヂでビクっとなるから!そういうの禁止な!」

そんな英語の語彙は僕にはないので、ホテルの廊下で人とすれ違うと軽く緊張したものです。

数日滞在すると、ホテルの住人たちの中には顔馴染みもできました。

薄ら笑いを浮かべて話かけてくるニヒルな顔立ちの男が、僕たちと同じ階で暮らしていました。

彼は、いつもボソボソと小さい声で話すので、何を言っているのか分かりません。

ドラッグでも売りつけようとしているのかと思い、得体のしれない彼を胡散臭く感じていました。

その男が、のちにミッキー・ロークという名の映画俳優になるとは想像もしていませんでした。

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東京キッドブラザースの2度目のニューヨーク公演「THE CITY」は幕が開き

ニューヨークタイムズなど有力誌の演劇評論家がぞくぞくと劇場にやってきた。

翌日の新聞に劇評が出ると、英語力のある劇団員が翻訳して皆に伝えた。

ニューヨークの演劇は、劇評によって天国と地獄に分かれる。

1970年、東京キッドブラザースが「THE GOLDEN BAT」を公演したときは好意的な劇評が出て

ラママシアターからオフ・ブロードウェイのシェリダンスクエア・プレイハウスに駆け上がった。

そして、7ヶ月に及ぶロングランを果たし、エド・サリバン・ショーにも出演した。

音楽監督の下田逸郎は、卓越した作曲家に与えられる「Drama Desk Award」を獲った。

高校生の時、そのことを美術雑誌で知ったことが、僕と東京キッドブラザースとの出会いだった。

しかし、1974年の「THE CITY」の劇評は芳しいものではなかった。

客入りも悪く、演出の東由多加は何度も芝居を作り変えていった。

ラママシアターは、イースト・ヴィレッジにある実験劇場で

ロバート・デニーロ、アル・パチーノ、サム・シェパード、ハーヴェイ・カイテルなどの

無名時代を支えた劇場としても知られている。

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ラママシアター主宰のエレン・スチュワートは、2007年、高松宮殿下記念世界文化賞を受けた。

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1992年、ラママシアターの経済的な困窮を救おうと慈善パーティが行われたことがある。

たまたまロケでニューヨークにいた僕は、100ドルの寄付金を持ってラママシアターに向かった。

パーティ会場にいた主催者は、ロバート・デニーロだった。



いつの間にか1ヶ月が過ぎ、もうすぐ9月になろうとしていた。

1週間のつもりで逗留したマールトンホテルに、僕たちは相変わらず滞在していた。

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8月。東京キッドブラザースは、ニューヨークに見切りをつけ、ヨーロッパでの公演を調整していた。

劇団とともにロンドン公演へ行く者、そのままニューヨークに残る者、東京へ帰る者。

劇団員たちは決断を迫られ、何となくそわそわしていた。

それぞれが自分の可能性を模索していたように見えた。

あの時、自分が劇団員だったら、どういう選択をしていただろうかと思う。

9月。急に空が高くなり、季節が入れ替わった。ニューヨークの秋は早い。

もう少しだけニューヨークに留まりたくて、僕は8㎜カメラを手放すことにした。

14丁目の質屋に持っていくと150ドルで取ってくれた。

10月。東京キッドブラザースはロンドンへ向かい、僕たちは日本へ帰ることにした。

帰る日の朝、マールトン・ホテルのミッキー・ロークに「僕たち日本に帰るよ」と言うと

「See You」と言って、いつものように薄ら笑いを浮かべた。

マールトンホテルは、現在もニューヨークで営業を続けている。

1週間15ドルの安宿ではなく、1泊250ドルのブティックホテルとして。

ジャンキーも、売春婦も、ドラッグ売りも、ヒッピーも、ミッキー・ロークも、もう、そこにはいない。
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コメント 43

獏

当時は大変な思いをされたこともあったでしょうけど
今となっては素敵な思い出として昇華されているのですね^^)

by 獏 (2013-11-14 13:37) 

ケロヨン

よいお話を聞かせていただきました。
ミッキーローク…忘れていた。
写真は奥様ですか?素敵です(^^

by ケロヨン (2013-11-14 14:04) 

夏炉冬扇

今日は。
いつも情感ある文章ですね★★★
by 夏炉冬扇 (2013-11-14 16:32) 

あるいる

40年という歳月は、人も街も変えてしまうものだとつくづくしみじみと思いました。


by あるいる (2013-11-14 16:47) 

engrid

まるで、違う世界のお話を聞かせていただきました
その時そこにいらして肌で感じられたこと
今も鮮明に覚えておられるのですね、
お二人で滞在され、生き生きとした思い出があること
とても羨ましいです
by engrid (2013-11-14 17:33) 

馬爺

私達にはまるで縁のない世界ですがいい思い出として何時までも持ち付けて居たいですね。
by 馬爺 (2013-11-14 18:50) 

なんだかなぁ〜!! 横 濱男

なんだか、ステキな思い出になりましたね。。

by なんだかなぁ〜!! 横 濱男 (2013-11-14 20:35) 

楽しく生きよう

なんか佳いー。
by 楽しく生きよう (2013-11-14 20:39) 

ちくわ

じっくり読ませていただきました。
なんと言うか・・・、
20代前半時分の僕自身のことを思い出してしましました。
あの頃の熱、不安、
そして寂しさ切なさなんかを。

by ちくわ (2013-11-14 20:39) 

ゆうみ

素敵な文章で感銘受けました。
by ゆうみ (2013-11-14 20:52) 

(。・_・。)2k

奥様 いつ見ても素敵ですね
たまに思うんですよ
人との縁で世の中なりたっていると思うんですが
一流と呼ばれる人と縁があった方は一流なんだなと
そういう磁石みたいなモノを自分でも手に入れてみたいなぁ~
なんて 思うんですが 思うから手に入らないのかもしれませんね
願って叶うことと 運命は別なんでしょうね

by (。・_・。)2k (2013-11-14 21:49) 

tommy88

「磁石みたいなモノ」
「願って叶うことと 運命は別」
という、2kさんの台詞に感銘を受けています。
本文の方では、その後ミッキー・ロークがデブリンになるとは予測不可能。
彼が復活した時の顔の壊れ具合を見ると危険なナルシストだと思いました。
出てきた頃も危険な香りがして興味がありましたが。

人生の断片って、面白いですね。
by tommy88 (2013-11-15 05:05) 

たいへー

思い出は、金には変えられないもの。
大切な宝物ですね。
by たいへー (2013-11-15 07:32) 

beny

 cafelamamaさんは、ミッキーロークが再起をかけた映画「レスラー」は、ご覧になりましたか。自分の人生に投影したのか素晴らしい出来でした。人相が悪くなって変わったなぁと思いましたが整形の失敗みたいですね。それでアル中だか薬中になって俳優業は終わったと噂されていたが見事カムバック。ヴェネツィア映画祭金獅子賞、ゴールデングローブ主演男優賞を受賞。BSテレビで見たんですが受賞式では、パチーノら俳優仲間が拍手喝采でした。
 一見の価値あります。
 
by beny (2013-11-15 10:34) 

cafelamama

■獏さん
この時の経験は、その後の自分にいろんな影響を与えたように思います。
そして、その時経験したことも、忘れられない思い出になっています。

■ケロヨンさん
ミッキー・ロークも、復活したようですね。
「ダイナー」や「ナインハーフ」の頃とは、だいぶ違うイメージですが
まだまだ頑張ってほしいと思います。

■夏炉冬扇さん
後ろ向きなことしか書けませんが
そう言っていただくとうれしいです。

■あるいるさん
ニューヨークに住む人々はめまぐるしく変わっていきますが
街は、それほど変わっていませんね。
同じ場所に同じ店や建物が、ほぼ存在してるので
首都圏のような変貌ぶりとは少し違うようです。

■engridさん
一昨日の夕食が何だったかを思い出すのは大変ですが
あの時代のことは、なぜか鮮明に憶えています。
どんなものを食べていたかも思い出せるんです。
自分にとってはすべての体験が刺激的でした。

■馬爺さん
70年代の思い出の中では、忘れることのできない思い出のひとつです。
あの時代のことを、いつまでも大切にしておきたいと思います。

■なんだかなぁ〜!! 横 濱男さん
そうですね。僕たち夫婦の大切な思い出になっています。

■楽しく生きようさん
3ヵ月間、この旅のためにバイトに明け暮れていたので
その反動で、いろんなものを見たり体験したりすることに貪欲だったのでしょう。

■ちくわさん
長文を読んでいただきありがとうございます。
ホントは、もっと長くなってしまったので、できるだけ短くしました。
70年代と言う時代のせいなのか、未熟な自分の年齢のせいなのか
あの時代は「熱」にうかされているような感じでした。
見るもの聞くもの、すべてが刺激的で
自分の中に、どうやって取り込んでいけばいいのかと思いました。
そして、そのあとの時代にやってくる寂しさや切なさには
まだ気づいていませんでした。

■ゆうみさん
後ろ向きな文章ですが
長文をおつきあいいただきまして
ありがとうございます。

■2kさん
あの頃、興味のあるものには
直感だけで無邪気に向かっていくことが多かったと思います。
ところが、大人になるにしたがって理屈で物事を考えるようになると
無邪気さが失われて、損得ばかりを考えるようになりました。
そうなると、いつのまにか磁石は働かなくなってしまいました。
>願って叶うことと運命は別~
そうかもしれませんが、
願うこと、念じることで、運命を変えていきたいものです。

■tommy88さん
ミッキー・ロークは別人のようになりましたね。
まさに予測不能でした。
いまでこそ、フェイ・ダナウェイと共演した
「バーフライ」の主人公がピッタリです。
復活したあと、開き直ったように意欲的に映画に出ていますね。

■たいへーさん
>思い出は、金には変えられないもの
そう、思います。
自分自身の興味や趣味は思春期から20代前半までに
ほぼ形作られたと思っています。

■benyさん
「レスラー」観ましたよ。
>自分の人生に投影したのか素晴らしい出来でした。
ほんとですね。
かつての色男ぶりを返上した、切なくなるほどの演技は見応えがありました。
コッポラの「レインメーカー」あたりから、人相が変わっていましたが
あそこまでいってしまうとは。
さらなる活躍を期待したいものです。
by cafelamama (2013-11-15 15:10) 

sig

すばらしい青春時代ですね。思い出や記念の厚みが違いますね。
なんという偶然でしょうか、昨夜はミッキー・ローク出演の「ドミノ」という映画の録画を観ていました。
by sig (2013-11-15 15:59) 

ken

私には雲の上の様な話ですが、とても素晴らしい思い出ですね!
奥様、いつ見ても綺麗な方ですね。
NYの街は大好きです。大分以前にNYCMを走った(いや、歩いた)
ことを思い出しました・・・(^。^)
by ken (2013-11-15 16:00) 

砂漠のラクダ

cafelamamaさんの青春時代の話は いつも唸りながら読ませて頂いています。
僕が辿ってきた薄っぺらな青春時代とは比べ物にならないような事に
いつも驚かされています^^;
もう。。戻る事は出来ないですが この歳になってやっと理解した事
出来たけど やらなかった事。。。そんなものを取り戻したくなりました^^;
by 砂漠のラクダ (2013-11-15 16:46) 

よーちゃん

1970年代のニューヨークですか!
すごい想い出ですね。
by よーちゃん (2013-11-15 18:28) 

さつき

過ぎ去った時間が、たった今の時間より鮮烈に感じられるような・・。
ミッキーロウクさん、変な人と思っていましたが、壊れかけたプロレスラーの映画を観てからファンになりました。
奥さま、素敵♡
by さつき (2013-11-15 19:25) 

そらへい

同じ70年代でもスケールが違ってきた。
私のアルバイトは生活のためであり
目的のためではなかった。
その辺の違いかも知れません。
ニューヨーク、マールトン・ホテルでの一ヶ月は
今後にも影響する貴重な時間だったのだと思います。
by そらへい (2013-11-15 21:06) 

八犬伝

はじめて行った時のニューヨーク
あの圧倒される感覚は、今でも忘れることが出来ません。
確かに、このホテルはNY1安全なホテルなのかもしれませんね。
ミッキーロークと同じ階で暮らしていたとは
凄い経験ですね。
by 八犬伝 (2013-11-15 21:21) 

KEI

とても素敵で貴重な体験、お話を伺っているだけでため息がでてしまいます。(羨ましいくて)。
無名時代のM・ロークとの出会い、カッコイイなぁ。。(笑)
「ナインハーフ」の彼はあまり好きではなかったが、「レスラー」での彼はとても良かった。あの作品は彼の人生そのままのような気がして、好きになったもんです。
by KEI (2013-11-16 01:01) 

cafelamama

■sigさん
「ドミノ」は、まだ観ていませんが、トニー・スコット作品ですね。
軽快な切れ味の作品を撮る人でしたが、去年亡くなってしまいました。
残念です。
顔も体型も変わってしまったミッキー・ロークですが
なんとか頑張って活躍してもらいたいと思っています。

■kenさん
NYは面白い街ですね。
地下鉄も便利だけど
ワンブロックごとに景色が変わるので
つい、歩きたくなってしまいます。
周りの人の歩く速度が速いので、つられて歩くと
後でくたくたになってしまいます。

■砂漠のラクダさん
>この歳になってやっと理解した事 出来たけどやらなかった事
僕にもそういうことが、たくさんあります。
自分の中で、まだ機が熟さないと勝手に思い込んでいたことや
時間がないからと後回しにしていたことが
今になって、ふつふつと湧き上がってきます。
昔に戻ってやり直すことはできないけど
今から始めても遅くはないという気もします。

■よーちゃんさん
70年代のニューヨークは刺激的でした。
あの時代は、お金がなくても
エキサイティングな日々を過ごすことができました。

■さつきさん
おっしゃる通り、はるか過ぎ去った時間なのに
70年代のことは鮮明に憶えているんです。
自分の中では、それほど密度の濃い時間だったんだと思います。
ミッキー・ロークはだいぶ変わりましたね。
でも、開き直って頑張っているようなので応援したいです。

■そらへいさん
ニューヨークでの経験もそうですが、
70年代と言う時代の考え方や価値観が
今でも自分の中にしみ込んでいます。
あまりにも独特な時代だったし
いろいろなことを吸収しやすい年代でもあったし。
それほどに濃密な時間が流れていたように思います。
あの時代、あの時間を共にした劇団の仲間たちと会うと
今でも当時のニューヨークの話で盛り上がったりします。
それはまるで軍隊酒場のようです。(笑)

■八犬伝さん
ニューヨークは、南から北まで、それぞれの魅力があって面白いですね。
NY1安全なホテルだなんて、フロントもよく言うなぁ、と思いつつ
なるほどそういう考え方もあるのかなぁと、納得してしまったのです。
マールトン・ホテルは、佇まいはそれほど変わってないのですが
各室にバスタブもトイレもついて
昔と違うスノッブなホテルになってしまいました。

■KEIさん
あの時代のニューヨークは、見るもの、聞くもの、とても刺激的で
スポンジに沁みこむ水のように何でも吸収していたように思います。
年をとると自分の経験や価値観が邪魔して
若いころのように吸収できなくなったのが残念です。
>あの作品は彼の人生そのままのような気がして
ほんと、そうですね。
開き直って自分の人生を見つめたような感じがあって
とてもよかったですね。
by cafelamama (2013-11-16 08:09) 

駅員3

古きよき時代を感じさせてくれました。

このNY滞在の数ヶ月間は、とても充実されていたのでしょうね。
そして、それを支えてくれた素敵な奥様!!
感動の物語です。

これから数十年後、自分の今を振り返ってみると、こんな充実した感じを味わえるのかなぁ・・・
もっと「今」を生きることに一生懸命にならなければいけませんね。

一度しかない人生、大いに苦しみ、大いに楽しみたいものです。
by 駅員3 (2013-11-16 12:11) 

はなだ雲

そういえば、以前
ニューヨークではじめて質屋さんへ行って
8ミリカメラを手放したって、おっしゃってましたが
あれは、ニューヨークへとどまるための資金作りだったのですね
異国のダウンタウンで、生まれてはじめて質屋さんへ行って
大事なモノを質入れする
もうそれだけでハラハラドキドキの大冒険です~^^
by はなだ雲 (2013-11-16 14:09) 

C_BoY

いつも素敵な文章で綴られるお話ですね。
アラン・パーカー監督「エンゼル・ハート」が大好きです。ミッキー・ロークの声と話し方が印象的です。照明も印象的でした。
NYU出身のマーティン・スコセッシにポール・シュレイダー、ロバート・デ・ニーロ、ハーベイ・カイテルを紹介したのはブライアン・デ・パルマだったことを思い出しました。
by C_BoY (2013-11-16 16:36) 

cafelamama

■駅員3さん
>一度しかない人生、大いに苦しみ、大いに楽しみたいものです。
まったく同感です。
あの時代のように、今を生きることに 一生懸命になれる日々が
これから先、やって来るかどうかは分かりませんが、
悔いのない生き方をしたいものです。
やりたいことをやり、行きたい場所に行き、会いたい人に会う。
可能な限り実現していきたいですね。

■はなだ雲さん
質屋でのやりとりは緊張感がありました。
向こうの言い値は100ドル。
それを聞いて強気に出てみました。
他の店をあたるよ、と背中を向け出口に向かうと
「Waite」の声が聞こえました。
そこから再交渉がはじまり、なんとか150ドルで手を打ちました。
初体験にしては上出来だったと思います。

■C_BoYさん
「エンゼルハート」面白かったですね。
昔、タイムズスクエアで
ニューイヤーズ・カウントダウンを見たことがあるんですが
この映画のことを思い出してしまい、そこにいるのがちょっと怖かった。
「ダイナー」も好きな作品です。
デパルマの「ブルーマンハッタン」は未見ですが
デニーロとのつきあいは、スコセッシより前なんですね。
by cafelamama (2013-11-16 20:44) 

さきしなのてるりん

青春の思い出は良いこともそうでないこともすべてが面白かった。そんな気がしますね。
by さきしなのてるりん (2013-11-16 20:57) 

Kun-KunBEAR

東京キッドブラザーズの記事と合わせてじっくり拝見しました!!
恭兵さんの頃名古屋公演によく足を運んだこと
懐かしく思い出しました!!青春の1ページです。

by Kun-KunBEAR (2013-11-16 23:33) 

DEBDYLAN

じっくり読ませていただきました。
想い出のお裾分けありがとうございます。

by DEBDYLAN (2013-11-17 01:02) 

may234

奥様、綺麗な方ですね
ミッキー・ロークの映画を何度か観た事があります
この方がすぐ近くにいらしたなんて、めぐり逢わせなのでしょうか
これも宝物のひとつになるのでしょうね


by may234 (2013-11-17 03:15) 

sigedonn

奥様、凛として素敵です。
70年代・・・・「ふっ・・・・」。
サントリーホワイトの丸瓶をはさんで座り
Jazzを聞きながらゆっくりと
語り明かしているような文章にちょっと酔そうです。^^
でも、苦い「つまみ」が多すぎてね。
by sigedonn (2013-11-17 07:21) 

タイド☆マン

今夕 次男がNYに行きます
社内旅行だ・・ そうで なんと羨ましい会社でしょう☆
by タイド☆マン (2013-11-17 09:50) 

cafelamama

■さきしなのてるりんさん
嫌なことも、時間が経つと愛しく思えてくるのはなぜでしょうかね。
時間の経過で発酵されて角がとれてしまうんでしょうか。

■Kun-KunBEARさん
当時、キッドは全国ツアーを精力的にやっていました。
柴田さんが主役のころが、キッドの黄金期だったかもしれません。

■DEBDYLANさん
70年代の話で恐縮です。
この時代のことを僕なりに書いておかないと
前に進めないような気がして。

■may234さん
現在のミッキー・ロークは、姿かたちはだいぶ変わってしまいましたが
当時は、どこか怪しげで得体のしれない美男でした。
どんな仕事をしているか分からなかったけど
俳優修業をしていたんでしょうね。

■sigedonnさん
飲めないのに、アパートの部屋にはサントリーホワイトのボトルを置いてました。
あの頃は、ホワイトの時代ですね。
sigedonnさんの「苦いつまみ」年月が経って程よく発酵しているかもしれません。
今度、聞いてみたいです。

■タイド☆マンさん
社内旅行でNYですか。いいですね。
今頃は、セントラルパークの紅葉もきれいでしょう。
by cafelamama (2013-11-17 11:19) 

SILENT

言葉を越えるものを!言葉は越えられる。」素敵な言葉ですね。
ニューヨークの街には、まだ行ったことありません。
「わたしはいまだかつて嫌いな人にあつたことはない」も好きな言葉です。

by SILENT (2013-11-17 12:18) 

タイド☆マン

アメリカには ウエット・ティッシュが無い・・・ とか
この日本の豊かさに感謝です☆ 



その反面 日本人 ひ弱になってるんじゃないか?
と思いました・・・★
by タイド☆マン (2013-11-17 13:09) 

cafelamama

■SILENTさん
>言葉を越えるものを!言葉は越えられる
エレンのラママシアターは世界中から小劇団がやってきて公演をします。
エレンは、演劇、ダンス、パフォーマンスなど
言葉によるコミュニケーションに頼らないアートの普及にとても熱心でした。
>わたしはいまだかつて嫌いな人にあつたことはない
淀川さんがよくおっしゃっていた言葉ですね。

■タイド☆マンさん
あー、そういえば
アメリカでウエットティッシュを使った記憶がないですね
by cafelamama (2013-11-17 13:52) 

めい

cafelamamaさんは素敵な思い出をたくさん持っていて幸せですね
ミッキー・ロークはニヒルな感じが好きでした
ナインハーフを観に行ったのは覚えているのですが
子供がいたはずなのにどうやって観に行ったかを全く覚えていなくって・・
cafelamamaさんの素敵な思い出は記憶力の良さにもあるのでしょうね
彼はボクシングで顔が崩れてしまい整形を繰り返して
前のイメージとは変わってしまいましたが
人は年と共に造作は変わるものですものね
奥様本当にステキ
ご自慢の奥様だと思います♥
by めい (2013-11-17 22:18) 

cafelamama

■めいさん
昨日やおとといの晩御飯が何だったか忘れてしまうのに
70年代のことはよく憶えているんです。
定食屋のメニューとか、値段とか、銭湯の料金とか。
自分でも記憶力がいいと思っていたのですが
家内に言わせると年齢のせいだそうです。
まぁ、そうかもしれません。
書きはじめると、次から次へと細かいことが思い出されて
まとまりがつかなくなります。
それらを、できるだけ削って書いてはいるんですが。
by cafelamama (2013-11-18 08:30) 

JF

デニーロやミッキーロークにも無名の時代があったんですね。
彼らが将来を夢見ていた同じ場所に立つことは、舞台や映像に関わる人として嬉しかったでしょうね。
まだインターネットもない、海外が遠く感じられた時代ですね。
憧れというものが今より存在したようなk気がします。
by JF (2013-11-21 01:10) 

cafelamama

■JFさん
ラママシアターは才能あふれる無名の小劇団に活躍の場を与える
非営利の実験劇場です。
ある程度は国の補助金で運営しているので商業的なことにこだわらず
クオリティの高い演劇やパフォーマンスを上演できたのでしょう。
60年代から様々な演劇人たちが巣立って行ったようです。
そこで公演すること、舞台に立つことは、やはりとても嬉しいことでした。

by cafelamama (2013-11-21 07:42) 

gerogero

う~ん、素敵すぎて言葉がありません。
自分の半生がお子様ランチに見えてきました。
柴田恭兵のファンですが東京キッドブラザーズは名前だけ。
NYは2回行ったことがありますが最近のことで、ただの観光客。
やばい雰囲気の欠片もないあかるいワシントンスクエアでした。
by gerogero (2013-11-24 21:10) 

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