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色街 [70年代クロニクルズ]

向島の「鳩の街」を撮影していた2kさんの写真に刺激され

かつて私娼街があった水戸の裏町を散策しました。

今回散策した水戸の奈良屋町は、間口の狭い酒場が並んだ元カフェー街で

1940年代から1950年代半ばまで、私娼たちが店先に立って客を曳いていたようです。

現在は裏町の飲み屋街という印象しかありませんが

よく見るとかつての色街だったころの遺構を偲ぶことができます。

P1050362.JPG

高校生の頃に、私はこの界隈をよく歩いていました。

当時は、すでに色街としての機能は終わっていたし、娼婦が客を曳く姿も見たことはありません。

ただ、どこかの引き戸が開いて緑魔子のような女が顔を出し、胸元に忍ばせたマッチで

私のタバコに火を点けてくれるようなことが起こらないだろうかなどと妄想したりしていました。

緑魔子主演 映画「やさしいにっぽん人」より
緑魔子.jpg

当時の私にも、娼婦が何をしている女なのかは、朧げにわかっていたし

そんなことを考えるたび、激しく動悸した憶えもあります。

映画のオープンセットのような作り物めいたカフェー街の景色に惹かれ

この界隈を舞台に、8㎜の自主映画を撮影したりもしていた。

P1050359.JPG

数年後、上京した私が驚いたことは、リアルな私娼街が東京にはまだ存在していたことでした。

新宿東南口の甲州街道下のヌードスタジオのあった路地や

同じく新宿二丁目の路地には、私娼窟がいくつか残っていました。

まるでアングラ演劇のような灯りのともる路地を、私は胸をときめかせながら歩きました。

横浜日ノ出町のガード下、沖縄の真栄原などは、数年前にその姿を消しているが

川崎の堀之内や大阪の飛田新地などは、表向きは飲食店を標榜していても

実態は私娼街として今でも営業しているようです。

今でも日本中に、私娼街は数えきれないほどあるのだろう。

役所は、そういうエリアを商業地域やアートの街として再開発させたいのでしょうが

色街として歩んできた街や土地の歴史は簡単に消せるはずもないと思います。

正月の水戸奈良屋町を歩きながら、私は高校時代の幼い妄想を久しぶりに思い出していました。

しかし、私のタバコに火を点けてくれるような裏町の女は、やはり現れませんでした。

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