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型を破る [映画]

「型を破るには、まず型を知らなければならない」

正月の新聞に、そんなことが書いてあった。

若い頃、私も同じことを考えて古い時代の映画を積極的に観るようになった。

「型破り」な映像を作りたいという野心があったからだ。

ところが、古い作品を観るたび、型の美しさ、型の奥深さなど

古典映画の豊饒な魅力に私は飲み込まれていった。

それは成瀬であり、小津であり、ヴィスコンティ、ワイルダー、ルビッチ、スタンバーグ・・・

感銘を受けた監督たちの名を挙げればきりがない。

フランスのヌーヴェルヴァーグも、アメリカン・ニュー・シネマも「型を破って」生まれた作品だが

古典映画と比べると私には少々味気なく思えてきた。

フランス映画には香りがあって、アメリカ映画には匂いがあった。

私はその定義をしっかりと胸に刻んだ。

「型を破る」とイキがっていた自分が痛々しかった。

撮影技術で目先を変えるのは簡単なことだが「型を破る」とはそういうことではない。

何十年も前に、とてつもない才能の持ち主たちが映画を作っていたことを思い知った。



先日、半蔵門で用事を済ませ、友人と会うために歩いて新宿に向かった。

四谷三丁目のギターショップの前を通ると、若者が店の中でギターを弾いていました。

P1170400.JPG

新宿へ着いたが、友人との約束にはまだ時間があったので、久しぶりに歌舞伎町を散策。

思い出の抜け道という路地で、はなだ雲さんが記事にしていたビードットガールの落書きを確認。

P1170401.JPG

ギターショップの若者も、路地裏の落書きも、都市ならではの景色だなぁと思った。
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