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映画の記憶 [映画]

感性や記憶力が衰えたのか、緊張感がなくなっているのか

新作映画のDVDを観ても内容を忘れてしまうことが多くなった。

ところが、青春時代に観た映画のことはよく憶えている。

音楽も文学も演劇も、青春時代の多感な時期に受け入れたものは同じように憶えている。

「映画はいくつの時に観たかによって

生涯の映画になるか、ただその時だけの映画になるかが決まる」

誰かがそんなことを言っていたが私もそう思う。

寺山修司の「書を捨てよ町へ出よう」という映画を17歳の時に観た。

書を捨てよ.jpg

当時の私はこの作品に、かなり影響を受けた。

それからも何度と観ているが、この映画を観るときの私は、いつだって17歳に戻ってしまう。

17歳という年齢は、いろんな色を塗り散らかしたパレットのようだと思う。

いろんな絵の具の中から自分の色を探し求めていた年齢なのだろう。

この映画の終幕に、主人公の男が映画館の客席に向かって語る長いモノローグがある。

以下、引用

「あんたら昼間から、こんな暗い映画館にやってきて

何かいい事ないかな、と思ってやって来たんだろうけど、何にもないよ。

ここは闇。明りをつければ消えちまうんよ。

ポランスキーも、大島渚も、アントニオーニも、電気が点けば消えてしまう世界なんだ…」

灯りが点けばすべてが消えてしまう薄暗い映画館に、あの頃の私は昼間から入り浸っていた。

映画が終わって表へ出れば、将来に対する不安で落ち込んでしまうのに

映画を観ている間だけは、そんなことは忘れてスクリーンに映る光と影に没頭できた。

木漏れ日の中を自転車で走り抜けるように、ハツラツとした朝もあれば

出口のない部屋で不安を抱えてうずくまる夜もあった。

そんな日々の中で、ジョアナ・シムカスみたいな女の子に

いつか出逢うことがあるかもしれないなどと無邪気なことも考えたりしていた。

ジョアンナ・シムカス.jpg

青春時代に観た映画をいつまでも憶えているのは

映画を観ることと日々の出来事が、リンクしていたからだろうと思う。

だとすると、変わり映えのしない日々の中では、映画さえ記憶できなくなっていくのだろうか。

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