書を捨てよ、町へ出よう [寺山修司]
「どんな鳥だって 想像力より高く飛ぶことはできない」―寺山修司
今年は寺山修司没後30年ということで、いろいろなイベントが行われています。
はなだ雲さんも渋谷のポスターハリスギャラリーの「寺山修司展」の記事を書いていました。
60年~70年代にかけて、寺山修司はとても影響力の強い人で
彼の論理、ロマンチシズム、豊饒なイメージに、僕はいつも圧倒されていました。
図書館に置いてある人生論や青春論より、僕には寺山修司の本のほうがはるかに面白かった。
ろくに勉強もせず、映画館やジャズ喫茶でくすぶっていた高校生にとって
寺山修司は実に魅力的な人物でした。
高校時代「家出のすすめ」と「書を捨てよ町へ出よう」を持って僕は家出したことがあります。
書を持って町へ出たけれど、4日で家に戻ったヘタレでしたが。
その時、転がり込んだ「東京キッドブラザース」の事務所には、
書を持って町へ出てきた家出人らしき若者が大勢いました。
「僕は映画館のスクリーンの裏で暮らしていたので、左右逆のいろんな人生を見つめてきた」
ある時、そう言った寺山修司の話を聞いて想像力の秘密はそこにあるのかと思ったりした。
だいぶ経ってから、その話は嘘だと知った。
寺山修司はとても素敵な嘘をつく。そういうところが実に寺山的なのだと思う。
歌人、詩人、劇作家、劇団主宰者、演出家、映画監督、写真家、脚本家、作詞家、競馬評論家…
無数の肩書を持つ寺山修司は、自分の肩書を問われると、こう答えたという。
「僕の職業は寺山修司です」
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修司忌 [寺山修司]
5月4日は、寺山修司の命日。修司忌。
僕が十代の頃、最も先鋭的で影響力を持った人物は、まぎれもなく寺山修司だった。
寺山修司の肩書は無数にある。
「天井桟敷」主宰として有名だが、劇作家、演出家、詩人、俳人、歌人、作詞家、
エッセイスト、映画監督、小説家、写真家、 競馬評論家…
多彩な経歴をもっているが、デビューは歌人としてだった。
「われに五月を」は、寺山修司が十代の時に書いた作品集。
十代の頃のみずみずしい感性が、言葉によって永遠に焼き付けられている。
「二十才 僕は五月に誕生した
僕は木の葉をふみ若い樹木たちをよんでみる
いまこそ時 僕は僕の季節の入り口で
はにかみながら鳥たちへ
手をあげてみる
二十才 僕は五月に誕生した」
寺山さんはいつも、はにかんでいた。
はにかみながら、とてつもない言葉が機関銃のように出てくる。
そして、魅惑的な嘘をつく。
「子供の頃、映画館のスクリーンの裏で暮らしていたので、
僕の部屋の壁には、いろいろな人生がさかさまに映っていたんです」
なんてことをぼそっと言ったりする。
十代の僕はそんな話をずっと信じていた。