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カンヌ [CM]

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5月中旬から始まった「カンヌ映画祭」は閉幕しましたが

6月下旬からは「カンヌ国際広告祭」が開幕します。

カンヌライオンズ.jpg

「カンヌ国際広告祭ーカンヌライオンズ」は、世界最大のテレビCMコンクールです。

世界中からエントリーされた数百本のCMが会場で上映され

独自性や創造性に富んだ作品に対し、ブロンズ、シルバー、ゴールドの賞が与えられます。

そして、それらの作品の中から絶対的評価の高い作品に、グランプリが決定します。

初めてカンヌを訪れたのは1984年で

社員ディレクターとして、どうにか仕事が回りはじめた頃でした。

当時の私には、CMコンクールにエントリーするような作品は何もありませんでしたが

会社が、研修として私をカンヌに行かせてくれたのです。

広告祭の期間中、カンヌには世界中のCM関係者が集まってきます。

連日、上映会場のパレ・デ・フェスティバルに通い、私もCM漬けの日々を過ごしました。

観客の反応は、ダイレクトに会場に伝わります。

独自性を持った視点で作られたCMには拍手が沸き起こり

広告的な訴求力を持たない作品には、床を鳴らしてブーイングが起こります。

ある時「サントリーローヤル」という日本のウィスキーのCMが上映されました。

そのCMは、ランボーやガウディをテーマに独特の映像で作られた作品でした。



私は、この作品が好きだったので、観客がどんな反応を示すのか、とても興味があったのですが

上映後に大ブーイングが起こってしまったのです。

映像のイメージが、ウイスキーという商品に着地していないというのが不評の理由でした。

商品に対して明確な訴求力のない広告に、観客はシビアな評価を下します。

こういうイメージ広告は日本でしか通用しないのだということを、私は思い知りました。

たとえば、酒類のカテゴリーで絶賛されたのは、こんなCMでした。

舞台はロンドンの紳士専用のクラブ。

年老いた給仕が「ギネスビール」の小瓶をトレイにのせて客のもとに運んでいる。

しかし、トレイをもつ老給仕の手元が震えているので、ビールがカタカタと揺れてしまう。

他の客たちは、老給仕がビールをこぼしてしまうのではないかと心配そうに見つめる。

トレイの上で揺れるビールと、心配そうに見つめる客たちのアップが交互にカットバックされる。

客のもとにたどりついた老給仕は、何事もなかったようにテーブルの上にギネスビールを置く。

ハラハラしながらその様子を見ていた客たちから安堵のため息が漏れる。

このCMには、ナレーションも音楽もないが、見終わった瞬間、無性にビールが飲みたくなる。

ビールのボトルがカタカタと揺れる音を、シズル感としてとらえた表現が実に見事だった。

街のカフェやレストランに入ると、上映作品を論評しあう関係者たちの声が聞こえてきます。

言葉はわからないけど、彼らを見ていると、誰がディレクターで、誰がプロデューサーなのかが

なんとなくわかってきます。

人種は違うけど、同業者同志には共通する匂いというのがあるものです。

顔なじみになった同世代のヨーロッパのCMディレクターたちと

お互いにたどたどしい英語で、上映作品を論じあったりするのはとても刺激的でした。

広告祭が終わるころには、CMに対する私の考え方が少しずつ変わっていくのを感じました。

その年のグランプリCMは、映画「ブレードランナー」のリドリー・スコットが手掛けた

「アップルコンピュータ」でした。



授賞式の夜は、カジノ付きホテルのプールサイドでパーティが開かれます。

プールサイドとは言え、短パンとポロシャツで参加するわけにはいかないので

急遽、安物の上着とネクタイを買って、そのパーティに出席しました。

プールサイドを歩いていると、初めての場所なのにどこか見覚えがあることに気付きました。

そこは、映画「地下室のメロディ」のラストシーンに出てくるプールサイドだったのです。

プールに沈めたバッグから札束が浮き上がり、アラン・ドロンとジャン・ギャバンの完全犯罪が

失敗に終わるあのシーンです。

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あれから、カンヌにはロケ等で何度か訪れていますが

会場のパレ・デ・フェスティバルの前を通るたび、野心に満ちた若き日の自分を思い出します。

2015年、今年はどんなCMがグランプリを獲るのでしょうか。

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シズル [CM]

食べ物の美味しさや魅力を伝える表現に、シズル感という言葉があります。

もともとは、熱した鉄板の上で肉がジュウジュウと音を立てるような擬音を表す言葉です。

カレールウが、肉やジャガイモと共にご飯の上にかかるシーン。

ハンバーガーパテが、バンズの上に舞い降りて弾むシーン。

チャーハンの米粒が、中華鍋の鍋底から舞い上がるシーン。

カットされたピザを引き上げると、たっぷりのチーズが糸を引くシーン。

チャーハン.jpg

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そういう映像をテレビCM等で観たことがあるかと思います。

簡単で何でもなさそうに見えますが、案外、時間のかかるやっかいな撮影です。

狙い通りの映像が撮れるまで、実際の食材を使って何度も繰り返し撮影します。

撮影しているうちに、新たなアイデアや注文が出てくるので時間もかかります。

デジタル全盛の時代でも、食品のシズル感だけは、CGでは作れません。

そんなシズル撮影のとき、お世話になるのが湯気師と呼ばれる撮影スタッフです。

麻婆豆腐や回鍋肉などの熱々の中華料理。

フライドチキンやポテトなどの揚げ物。

肉まんやシウマイなどの蒸し物。

鍋料理やラーメンなどの汁物。

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温かい食べものに絶対に必要なシズルは湯気です。

湯気師とは、それらの食べものに合わせて湯気を作り出すスタッフのことです。

撮影に使う食べものは、素材の美しさや盛り付けの完成度が重要なので

それに合わせて、カメラアングルやライティングなど、若干の修正をしなくてはなりません。

ところが、セッティングをしているうちに本物の湯気はなくなってしまいます。

そこで、あらたに湯気を加える必要がでてきます。

湯気を出すホースの先端に食べ物の形状に合わせた被せ物を取り付け

その被せものから直に食べ物に湯気をあてていきます。

20~30秒間湯気をあて、食べ物に湯気がなじんだ頃に被せ物を外して撮影します。

湯気師の作業はとてもシンプルに見えますが

食べ物に合わせて自然な湯気を作り出すのは、やはり熟練した技が必要になります。

湯気師のほか泡師と呼ばれるスタッフもいます。

ビールの泡のキメの細かさや柔らかさなどを撮影用に調整するスタッフです。

普通は気づきませんが、メーカーや銘柄によってビールの泡の質感は微妙に違います。

ビールの泡は家庭用のミキサーで作ります。

ミキサーにビールを入れて撹拌し、食塩を入れたりして泡の質感を調整していきます。

食べ物の撮影は、こうしたアナログな方法で、いろいろなシズル感を作り出しているのです。
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ミュージックビデオ [CM]

今年の夏、知り合いの音楽プロデューサーからミュージックビデオの制作を依頼されました。

KUNIという新人アーティストのデビュー曲で「ありがとう」という曲です。

普段はなかなか言えない“ありがとう”という言葉を、素直に家族に伝えたいという

想いを感じさせる曲でした。

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ミュージックビデオに限らず、映像と音楽のマッチングというのは、なかなか難しいものです。

とくに、歌詞の内容を安易になぞった映像は、つまらないものになってしまう可能性があります。

たとえば、♪~ひとり酒場で飲む酒に~という歌詞に、酒場で酒を飲む女の映像を重ねると

単純で薄っぺらな見え方になってしまいます。

映像と音楽は、ある程度、距離感があったほうが深みが出る、というのが私の持論です。

かといって、両者がまったくかけ離れ過ぎていても、しっくりしません。

音楽と映像のマッチングで思い出すのは「2001年宇宙の旅」という映画です。

宇宙船が飛ぶシーンに、近未来の宇宙的なイメージの電子音楽ではなく

ヨハン・シュトラウスのワルツ「美し青きドナウ」が用いられていたのです。

そのマッチングの凄さに、私は鳥肌が立ったことを憶えています。

以来、SF映画に出てくる宇宙空間には、クラシックなオーケストラ曲が定番になりました。

ミュージックビデオの打ち合わせの時

アーティストを画面に出すことはNGで、映像は歌詞の内容に沿ったものにしてほしいとの要望が

音楽プロデューサーから出てきました。

そして、動画ではなく静止画でやりたいと。

よりによって、映像を歌詞の内容をなぞるようなものにしてほしいとは・・・

いろいろな例を挙げて、そういう映像表現を回避しようとしたのですが

私の意見は却下されました。

作詞も手がけている音楽プロデューサーには、詩の内容に強い思い入れがあったのでしょう。

私は、たたき台として企画コンテを作成しました。

それに基づき、キャメラマンに素材を撮影してもらいながら少しずつ編集作業を進めました。

どうしても詩の内容をなぞっているので、ベタな表現になるのは避けられませんが

できるだけ象徴的に描くことで、多少なりとも奥行きを出そうと試みました。

以下が完成版です。


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感動のメカニズム [CM]

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台風8号が去った日の夕方、南東の方角に二重の虹がかかっていました。

「こんな虹は初めてだわぁ・・・感動的ねぇ」

縁側に座って虹を見ていた母が、ポツリとつぶやきました。



「感動って、何だと思う?」

新入社員のころ、上司が私に訊いてきました。

ふいな問いかけに、私は口ごもりました。

上司は、そんな私を試写室に連れて行き、1本のテレビコマーシャルを見せてくれました。

原っぱのようなところで、10歳ぐらいの子供たちがサッカーをやっている。

元気に動き回る一人の少年を、キャメラは追いかける。

その少年は器用にボールを操り、次々にディフェンスをかわしていく。

ファールで倒されても元気に起き上がる。

少年は、ボールを追いかけて、ただひたすらに走り続ける。

そんな少年のハツラツとした表情が、ストップモーションになり、タイトルが現れる。

「この少年には、両親がいません。

 ブラジルには何かの事情で両親のいない子供たちが〇万人います。

 あなたの善意が、子供たちの未来を作ります」

正確な文言は忘れてしまったが、そんな内容だったと思う。

そのCMは、両親のいない子供たちのために募金活動を促す、ブラジルの公共広告でした。

「憐みを誘う場面が出てこないところがいいですね」

そんな感想を私は述べた。

「そこだ。ふつうに考えれば、悲劇的な運命に涙を浮かべた少年を描こうとするだろう。

だけど、それをやっちゃうと人の心には届かない。つまり感動のメカニズムは作動しないんだ。

憐みや同情で、人は感動しない。前向きに生きようとする健気さこそが人を感動させるのだ」

上司は、饒舌にまくしたてた。

なるほどと思った。

前向きに生きようと健気にボールを追う少年の姿だからこそ、私の心も動いたのだろう。

感動とは、そういうものかもしれないと思った。

健気であることは、どうしてこんなに私たちを揺さぶるのだろう。



梅雨空にかかった二重の虹を見て、母は何を感じたのだろう。
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原田さんのこと [CM]

時々、原田さんのことを思い出すことがある。

原田さんは会社の先輩で、制作進行(プロダクション・マネージャー)をやっていた。

原田さんは足元に異物があると、必ずつまずいてしまうという癖があった。

足元に邪魔なものががあれば、普通より少し足を上げて跨いだりするものだが

自分の感覚通りに足が上がらないのか、足元の異物に必ず足をひっかけてしまうのだ。

歩く速度は私より速いので、とくに足が悪いわけではないようだった。

本人も、つまづくことに慣れているのか、大きく転ぶようなことはなかった。

つまづくことを、癖と言ってしまうのは適切ではない。

三半規管の障害が原因だったのではないかと思う。



映像表現のひとつに立体アニメーションというのがある。

立体物やキャラクターをひとコマずつ動かしながら、少しずつ動きを作っていく撮影方法です。

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根気と体力のいる仕事で、1週間ぐらい撮影スタジオで徹夜なんてことも珍しくなかった。

詳細な絵コンテとカットの秒割りをすれば、アニメーターとキャメラマンが中心の現場なので

ひたすらその様子をじっと見守る以外は何もすることがなく、私には苦手な仕事でした。

そんな仕事に、原田さんが制作進行として付いてくれた。

私たちは、テグスで吊ったペガサスが、羽をはばたかせて空を舞うというシーンを撮影していた。

撮影開始後3日目の夜中を過ぎ、スタッフの顔にも疲労の色が見えはじめてきたので

私は、できるだけ早く撮影を終えることだけを考えていた。

「夜食でーす!」

原田さんがスタッフを喜ばせようと、どこかから屋台のラーメン屋を連れてきた。

一瞬いやな予感がしたが、すでに遅かった。

元気よくスタジオに入ってきた原田さんが、照明用のライトの足につまづいたため

ライトの位置が動いてしまったのだ。

「原田ぁ、ライト足蹴ったかぁ!」キャメラマンが確認した。

「ほんのちょっと・・・」原田さんが小声で答えた。

ほんのちょっとでも、ライトが動けば、ライティングは変わってしまう。

撮影用語に同ポジ(同じポジション)という言葉がある。

キャメラもライトも同ポジで背景を固定し、被写体を動かして撮影することを言う。

同ポジが動いてしまうと、カットの途中で背景の雰囲気が微妙に変わってしまうのだ。

ライトが動いたならば、そのまま撮影を続けてもNGになってしまうので

もういちど、最初のコマから撮影をやり直さなくてはならない。

スタッフからは溜め息が漏れたが、誰も原田さんを責める人はいない。

「今日は、ここまでですね。このカット、明日もういちどやりましょう」

私も、キャメラマンにそう言うのが精いっぱいだった。

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ある時、日活撮影所で撮影していた時も制作進行の原田さんが一緒だった。

ふと気が付くと原田さんの姿が見当たらない。

日活撮影所で、原田さんは時々現場からいなくなるという話は聞いていた。

撮影所近くの京王閣あたりで競輪をやっているんだ、という噂もあった。

昼休みに撮影所の食堂へ向かう途中、私は他のスタジオから原田さんが出てくるのを見た。

モップとバケツを手にした原田さんは、私を見てニヤッと笑った。

原田さんは、ロマンポルノの撮影をしているスタジオから出てきたのだった。

なんと、濡れ場の撮影を見学していたのだと言う。

バケツとモップを持っているのは、現場のスタッフに怪しまれずに済むかららしい。

「オレ、いつか、ロマンポルノを撮ってみたいんだよね」

原田さんは、そう言った。



また、ある時、制作部の原田さんの出先を書く黒板に「シリ撮」という文字が書いてあった。

シリ撮って尻撮?のことだろうか。私は痔の薬の撮影なのかと思った。

それはヘリコプター撮影のことだということが、後で分かった。いわゆる空撮のことです。

そう言えば、原田さんは東北の訛りがあり、ヘリコプターのことをシリコプターと発音していた。

口語体で黒板に書いていたので分からなかったわけだ。



原田さんには数限りなくエピソードがある。そして、どのエピソードも原田さんらしい。

スタジオでライト足を蹴ってしまうことも、現場を抜け出してロマンポルノの撮影を見学するのも

決して褒められることではない。

不用意な行動でタブーを犯してしまうことはあったが、悪びれることもなく、いつも飄々としていた。

それが原田さんの不思議な魅力だったったんだと思う。

私たちは原田さんのミスをかばったし、会社も寛大で彼を責めるようなことはしなかった。

あの頃は、いろんなタイプの人間が窮屈な思いをせずに生きられた時代だったような気がする。

どうしているのかなぁ、原田さん。
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桜雨 [CM]

「一雨二晴」「三寒四温」「春に三日の晴れ無し」などの言葉があるように

桜の咲く時期は天気が安定しません。

雨の降る日数は、秋よりも春のほうが多いようです。

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毎年この季節になると、思い出す広告コピーがあります。


「春は、三日に一度、雨が降ります」


これ、春のレインコートのコピーです。

情感を排し、気象データだけで作り上げた簡潔さが美しいです。

素直な言葉だから、受け手に、なるほどと思わせる説得力があります。

商品を、ファッションではなく必需品にしたところに、広告としての強さがあります。

資生堂や伊勢丹の広告を作ってきたコピーライター、土屋耕一氏の作。

普通に発想すれば、雨の日に、レインコートをお洒落に着こなすことを、テーマにするでしょう。

あるいは、雨の日以外でも、お洒落に着こなすことができると、テーマを広げるかもしれません。

ただ、そういう発想では、どんなにこねくりまわしても着地点は見えていて

コロモを増やして海老を大きく見せようとする天ぷらのようなものにしかなりません。

広告は、独自性のある切り口が重要です。

土屋氏は、いろいろ思案して、1案だけコピーを提出したという。

それが「春は、三日に一度、雨が降ります」だった。

あらためて、いいコピーは簡潔で素直なものなのだと思います。


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サンタクロースとコカ・コーラ [CM]

サンタクロースのスーツの色は赤と白。

同じコーポ―レートカラーを持つアメリカのコカ・コーラ社は

1930年代からサンタクロースをモチーフにした広告をいろいろ作ってきた。

冬は消費が落ちるので、サンタの広告で売り上げアップを図るねらいがあったのだろう。

季節限定だが著作権もなくタレント契約もなしで使えるビッグキャラクターは、サンタしかいない。

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1986年、日本コカ・コーラ社は、クリスマス用にサンタクロースのCMを制作しようとしていた。

ストーリーもシンプルで、トナカイのソリに乗ったサンタクロースが

コカ・コーラの自販機の前で止まり、コカ・コーラを飲んで去っていくというものだった。

シンプルな企画なので社内ディレクターの僕が制作にあたることになった。

北海道の雪原でロケをする予定だったが、肝心のソリを引くトナカイがいない。

いろいろ調べると、フィンランドのロヴァニエミという町にソリを引くトナカイがいることがわかった。

ロヴァニエミは、ヘルシンキから国内線飛行機で約1時間ほど北に行った町だった。

町の中心部からクルマで2時間ほど行った小さな村を撮影地にすることにした。

そこはもう北極圏である。

ヘルシンキでオーディションしたサンタクロース役もイメージ通りにキャスティングできたし

ソリを引くトナカイが言うことを聞いてくれれば撮影はスムースに終わるはずだった。

しかし、そういう時は、誰も予想していなかったことが起こるものだ。

雪が降ってくれない。

北極圏なら、いつでも雪ぐらい降るだろうと思ったのが誤算だった。

トナカイもサンタも小道具の自販機も、すべてスタンバッたまま4日が過ぎた。

今なら、CGで雪を合成できるが、当時の技術では雪の質感と軌道を作るのは不可能だった。

仕方がないので、ストックホルムから撮影用の雪降り機を取り寄せることにした。

北極圏で雪降り機を使って撮影するなんて、笑い話にもならないと思った。

雪降り機の到着までの数日間、現場で待機したがやはり雪は降らなかった。

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凍てつく現場で食べたカップヌードルは、ほんとうに旨かった。

町のレストランでは、トナカイのステーキを出していたが、さすがに誰も食べようとはしない。

ようやく、雪降り機が到着して撮影が始まった。

雪降り機は予想以上にいい雪を降らせ、トナカイも元気に動いてくれた。

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なんとか撮り終えてスタッフと打ち上げをしていると、会社から電話が入った。

クライアントの社長が変わり、クリスマスCMはオンエアしなくなったと言う。

よくある話だが、新社長は前社長の決定を覆すことで自らの存在感をアピールすることがある。

不条理な理由で僕たちのCMはボツになり

その放送枠に「Coke is it」のキャンペーンCMが流れることになった。

僕も含め、スタッフはドッと疲れた。

ボツは決定していたが、フィルムを編集し作品を仕上げることでスタッフには納得してもらった。

これがボツになったCMです。音楽は井上鑑氏。


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不思議な縁 [CM]

少し前に、僕の上司のことを書きましたが、

その方のことを、もう少し書いてみようと思います。

この上司とは、不思議な縁がありました。

僕は入社前に、この上司と新宿の末広亭で偶然出会ったことがあるのです。

学生時代、落語に特段の興味があったわけではないのですが、

その日は映画館で観たいと思う作品がなかったので落語を観に行ったのだと思います。

寄席の客席で隣を見ると、先日、入社の面接を受けたプロダクションの方が座っていました。

一次面接を受けた直後だったので顔を覚えていたのです。

軽く挨拶をすると、その方も僕を覚えていたようでした。

ところが二次面接の後、紀伊国屋ホールの落語名人会で、またその方に出会いました。

その時は何か言葉を交わしたと思いますが、はっきり覚えていません。

たまたま出かけた寄席で、面接の期間中に2度も続けてその方に出会ったのです。

その方は、僕を落語を勉強している若者だと思ったのでしょう。

妙な誤解がきっかけで、僕はその会社に入ることになりました。

入社後、その方が僕の上司になり、僕は1年間彼に付いて助手をしていました。

上司はコメディの名手で、いじましくて粗忽な人間を描かせると、

誰にもまねできない独特の世界観を持っていました。

それらの引き出しは、古典落語に対する造詣の深さからきていたように思います。

コメディは作劇の基本です。

笑わせることによって、観客を作者のねらいに引き寄せることができるので、

作劇においてはとても重要な要素なのです。

僕は他人のユーモアを解することはできると思っているのですが、

自分からユーモアを発することはできない性質です。

おまけに仏頂面ですから、初対面の人は僕に対して強く警戒感を持ちます。

それをカバーするために、笑顔の作り方をいろいろやってみましたが無駄でした。

僕にコメディ作りの能力がないことに気付くと、上司の風当たりも強くなってきました。

ある種の誤解があって会社に入ってしまったので、

コメディの企画を作れない僕に、上司は相当失望したようです。

一緒に企画をやると、よく感想を求められました。

上司の企画は、独特の行間を読めないと面白さがわかりにくく、

正直、どこが面白いのか僕には分かりませんでした。

ところが、上司が企画を説明しはじめると、その行間に秘められた独特のニュアンスが輝きだし、

その面白さに周囲が圧倒されてしまうのです。

あっ、そういう企画だったのかと後になって気づくことがよくありました。

上司は、コンテを説明するのではなく演じてみせるのです。

その演技力は、普通のタレントでは太刀打ちできないほど上手かった。

上司が演じてみせると、周りにいる者は思わず爆笑してしまいます。

そして、代理店やクライアントに、とてつもなく面白いCMができあがるのでは、

という期待を抱かせます。

それは、プレゼンというより一種の名人芸でした。

映像演出法は、人によっていろいろやり方がありますが、

上司のように台詞回しや表情、動きを完璧に演じてみせる監督はいない。

そのやり方は的確にイメージを伝えやすいが、

タレントが上司の要求に応えられない場合、作品が失敗作になることもありました。

「監督が自分でやったほうが面白いんじゃないですか」

そう言って、不快感を表すタレントもたくさんいた。

大物タレントだろうが子役だろうが、テイク30ぐらいは平気で撮影する。

時には、テイク70に及ぶこともあった。

僕はカチンコを打っていたから、よく覚えている。

同じ芝居を70回も演じるわけだから、タレントはあきらかに気分を害してしまうのだが、

上司はそんなことではめげません。

自分の型にはまるまで何度も撮影する。OKを出しても欲を出してさらに撮影する。

そして、自分の演技を越えられないタレントを怒鳴ったりすることもあった。

怒鳴られなかったタレントは夏目雅子だけでした。

夏目.jpg

京都で夏目雅子を撮影していた時に、こんなことがありました。

夏目の演技は可もなく不可もないな、と僕は思っていたので、

上司はまた怒鳴るだろうと思っていたが、その時はめずらしく機嫌がよかった。

演技以外に、上司の心をとらえるようなところが夏目にあったのだろう。

浴衣姿の夏目が下駄を脱いで、池の水に片足を入れるというアップを撮っていた時のことです。

池の縁石の足場が悪いため、僕は夏目の横で彼女の帯を両手で支え、

夏目は、片足立ちのバランスをとるために、僕の肩に手を添えていました。

その様子を見ていた上司は、急に撮影をやめてしまったのです。

夏目を支える僕の役目が気に入らなかったのだと思いました。

上司は、夏目雅子に惚れていたようでした。

少年のような上司の純情さを垣間見た思いがしました。

思い返すと、この上司とはいろんな思い出があります。

僕は頼りにならない助手でしたが、上司からはいろんなことを学びました。

でも、そういうことは後になって気づくのです。

僕が長い間、仕事を続けられたのは、

あの日、あの寄席で、あの方に出会ったことがきっかけだったのではないかと思うのです。

まったく不思議な縁です。

現在は、映像学校の主任講師をしておられるようです。

数年前、イッセー尾形のライブで、偶然お見かけして以来会っていませんが、

久しぶりに叱責を受けてみたいなぁ、とも思います。


数少ない僕のコメディCMです。



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「ひこうき雲」の思い出 [CM]

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ジブリ映画「風立ちぬ」が好評なようです。

この作品を僕はまだ観ていませんが、エンディングに流れるユーミンの「ひこうき雲」には、

苦い思い出があります。

24歳の頃、僕はディレクターとして1本立ちしていたのですが、

鳴かず飛ばずで、仕事は停滞していました。

主な仕事は先輩ディレクターがやり残した商品撮りや、プレゼント告知CMの改定などで、

自分で考えたプレゼン用の企画は、ことごとく通りませんでした。

野球選手の打率で言えば、0割0分0厘の状態が続き、

会社からは僕の企画は金にならないと言われていました。

安い給料でしたが、それさえ貰っていいのかと思ったりもしました。

それでも、企画を求めるプロデューサーからの依頼は多く、

毎日のように企画を作っていました。

「通らない企画を10本作る必要はない、通る企画を1本作ればいいんだ」

「こんな企画、紙ヒコーキにして窓から飛ばしてしまうよ」

プロデューサーからは、そんなことをよく言われたものです。

企画が通らない若手ディレクターは仕事の機会を与えてもらえません。

野心や志しは高く持っているつもりでも、企画力がそれに伴っていないのです。

会社はディレクターとして僕を売りたくても、作品集がないため、

クライアントや広告代理店を説得できません。

そんな状況を何とかしなければと焦り、僕はある計画を考えました。

架空のCM企画を作り、それを自主制作して作品集を作ることはできないだろうか、と。

その作品を会社に見せれば、自分の実力を評価してもらえるのでは、と。

すぐに数本の企画を作り、会社に提案しました。

数人のプロデューサーがその計画を応援してくれ、社内自主制作として許可が下りました。

撮影部に頼み込み、撮影機材や余ったネガフィルムを使わせてもらい、

現像費やラッシュ費は他の作品に回してもらうようにしました。

また編集部や作画部にも根回しし、ネガ編集やタイトル作成をやってもらえることになった。

さらに車両部を説得し、ロケバスも出してもらえることになりました。

撮影の準備を進めていくうちに、企画通りにCMとして制作するより、

ショートフィルムにしたほうが面白いのでは、という考えが浮かびました。

そうなると、音楽は荒井由美の「ひこうき雲」がふさわしいと思いました。

この計画は、自主制作CMから、ショートフィルムを作る方向へとしだいに変わっていきました。

会社からの企画の依頼もすべて断って、2週間ほど僕はその制作に没頭しました。

撮影も残りわずかとなった頃、上司が撮影済みのラッシュを見せろ、と言ってきました。

撮影が終わっていないからと逃げたのですが、容赦はありません。

試写室でそのラッシュを見た上司は、企画コンテとは大幅にちがう内容の映像に激怒しました。


「演出部にいる人間は、誰でも好きな映像を作りたいという気持ちを持っている。

俺たちの仕事は、広告としてそれをいかに商品に落とし込むかを考えなくてはならない。

美しい映像やイメージを作り上げるだけでは、広告として成立しないんだ。

君は、そこを見失っている。だから企画が通らないんだ。

俺たちはプロとしてこの仕事をやっているんだ。アーティストは要らない。

そして、君がやったことは、会社の財産を私物化したことになる。

つまり横領だ。撮影も編集も中止して通常の業務に戻りなさい」


もっともな叱責で弁解の余地はありませんでした。

残りの撮影は中止になり、撮影済みのネガフィルムも没収されました。

数日後、社内の掲示板に僕の名前で減給3ヶ月という処分が発表されました。

当時はつらい処分と思いましたが、

この事件をきっかけに、僕は企画を通すコツのようなものが少しずつ見えてきたように思います。

1本のヒットも打てなかった24歳の僕を、何度も打席に立たせてくれた会社には感謝しています。

ユーミンの「ひこうき雲」を聴くたびに、この時の苦い思い出が甦ってくるのです。


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ポール・ポッツのこと [CM]

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ポール・ポッツは「ブリテンズ・ゴット・タレント」というオーディション番組で

「誰も寝てはならぬ」を歌い、審査員全員と会場の観客を熱狂させたオペラ歌手です。

ヨレヨレの上着に安物のネクタイで、オペラを歌いあげる姿がyoutubeを通じて配信され

世界中の人々に感銘を与えました。

元携帯電話のセールスマンが一夜にして世界的なオペラ歌手になるというエピソードも、

シンデレラ・ストーリーとして話題になりました。

2008年、僕たちCMの制作者も、ポール・ポッツに注目していました。

当時、龍角散の、のど薬の広告を企画していたこともあり、

「神様がくれたのどが、僕の人生を変えた」

というキャッチ・フレーズで、クライアントにポール・ポッツをプレゼンしました。

プレゼンは通ったのですが、CMの表現をどうするかでかなり悩みました。

どう作りこんでも、youtubeのドキュメンタリー映像には勝てるわけがないのです。

孤独な少年時代や不遇の青春時代を描いても、嘘っぽくなるだけ。

いろいろ考えた末「誰も寝てはならぬ」を歌う姿に、彼のプロフィールを字幕で映し出す

シンプルな構成でいくことにしました。

来日したポールと打ち合わせをするため、僕たちは六本木のリッツカールトンに出向きました。

ホテルのエレベータに乗り込むと、偶然にもポールが乗り合わせていたのですが、

簡単な挨拶をして、打ち合わせ用のスイートで彼を待つことにしました。

しかし、ポールはなかなか現れませんでした。

2時間後、別室で一緒にいるはずのスタイリストに電話を入れると、

彼は極度の人見知りらしく、僕たちのいる部屋に行くのをためらっているとのことでした。

その日、僕たちは彼に会うのを諦め、不安を抱きながら数日後の撮影を迎えました。

予想に反し、ポールは時間通りにスタジオに来ていました。

立ち位置を決めるため、彼にステージに上がってもらうと、

たちまち落ち着きのない様子を見せ、すぐにでもステージを降りて帰ってしまいそうでした。

僕は録音部に指示し「誰も寝てはならぬ」のイントロをスピーカーから流してもらいました。

すると、それまでとは彼の様子が一変し、リハーサルでもないのに歌いはじめたのです。

指示を出すまでもなく、2台のキャメラは回りだしていました。

収録した映像を、モニターに出して見せると、

彼は、もういちど歌いたいと言い出し、今度は積極的にステージに上がっていきます。

結局、2テーク撮ってOKを出しました。

龍角散.jpg

ポール・ポッツは、自信の無さからくる劣等コンプレックスの塊のような人物で、

いつも不安と緊張の中で生きているように見えました。

しかし、ひとたび音楽が聴こえてくると、彼の性格は一変します。

別人のように自信に満ち溢れ、その声で人の心をつかみ、観客を魅了してしまうのです。

不遇な人生の中でも歌うことを諦めず、自分を信じて努力してきたのでしょう。

ある意味、彼自身のコンプレックスが才能を伸ばしたとも言えます。

ポール・ポッツのデビューCDのタイトルは「One Chance」

ワン・チャンス.jpg

文字通り、彼はワンチャンスで、人生を劇的に変えてしまったのです。


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