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NHKプレミアムアーカイブ「さすらい」 [映画]

2014年に観た映画は147本で、そのほとんどがDVDによる鑑賞でした。

147本と言っても未見の新作は40本足らずで、他は何度も観ている旧作ばかりです。

昨年、最も印象に残った作品はNHK-BS プレミアムアーカイブとして放送された

「さすらい」というテレビドラマでした。

さすらい.jpg

[物語] 施設を出て東京にやってきた主人公ひろしは、映画の看板屋で働くことになる。 しかし、仕事になじめず、サーカス、アングラ劇団、氷屋など、職を転々とする。 自分には何ができるのか、自分は何者なのか。 さすらうような日々の中で、主人公は自分を探しだそうとする。

[出演] 友川かずき、遠藤賢司 、栗田ひろみ、外波山文明、笠井紀美子

[作・演出] 佐々木昭一郎

この作品は1971年にNHKで放送されたもので、10代の私に強烈な印象を残した作品でした。

主人公が抱く不安、迷い、野心のようなものに、当時の私は自分を重ねて観ていたのでしょう。

当時はビデオなんてないから、一瞬たりともテレビから目を離さず、画面を見続けました。

私は、こんな前衛的な作品をNHKが放送したことに驚き

エンドクレジットに出ていた佐々木昭一郎というNHKの演出家の名前を覚えました。

今までに何度か再放送されたようですが、もう一度観直す機会はありませんでした。

昨年秋、43年ぶりに鑑賞することができ、長年の思いがやっと叶ったというわけです。

佐々木昭一郎氏の実験的な作風は、43年後の今も私を魅了しました。

10代の頃に受けた影響は、何十年経っても変わらないものかもしれません。


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エリック・ロメールの映画 [映画]

ずっと欲しかったエリック・ロメール・コレクション DVD-BOX Ⅳ,V,Ⅵを購入しました。

秋は、じっくりと、エリック・ロメール作品を観なおそうと思っています。

コレクション Ⅳ
「レネットとミラベル」「木と市長と文化会館」「パリのランデブー」
レネットとミラベル.jpg木と市長と文化会館.jpgパリのランデブー.jpg

コレクション Ⅴ
「満月の夜」「緑の光線」「友だちの恋人」
満月の夜.jpg緑の光線.png友だちの恋人.png

コレクション Ⅵ
「飛行士の妻」「美しき結婚」「海辺のポーリーヌ」
飛行士の妻.jpg美しき結婚.png海辺のポーリーヌ.jpg

ほかにも、もういちど観たいエリック・ロメール・コレクションのDVDもありますが

すべて絶版になってしまい、中古でさえ高額で、ちょっと手が出ません。

エリック・ロメールの映画の面白さを言葉で伝えるのは、ちょっとむずかしい。

ロメール映画の登場人物は、恋をし、欺き、心変わりをし、自己中心的な主張を繰り返していく。

彼らはよく語り合うが、だからと言って、味わい深い台詞があるわけでもない。

ドラマチックな出会いもないし、ロマンチックなシーンもない。

エンディングも、どちらかと言えば肩透かしで、あっけなく終わってしまいます。

ところが、映画を観ていくうちに、登場人物の行動やよこしまな感情に自分を重ね合わせ

かつての自分の恋愛を、チクチクと刺激されているような感覚にさらされます。

それが面白いのか、と訊かれれば、それが面白いのです、と答えざるをえません。

ロメールの視点はシニカルで、恋に右往左往する人々が、時に滑稽に思えてくることもあります。

だから、ある意味、喜劇と言えなくもありません。

しかし、よくある恋愛話を、シニカルな視点で味付けしたエリック・ロメールの映画は

観るたびに「だから、人生は面白い」と思わせてくれるのです。

アメリカ映画は、日常の中の異常事態を描いたものが多く

事件が発生することで、物語が動き出していきます。

フランス映画は、日常の中のさりげない出来事を描いたものが多く

人間の感情や心の動きで、物語が動き出していきます。

もちろん、アメリカ映画の中にも異常事態を描かない作品もあるし

フランス映画の中にも、VFX満載のアクション作品もあります。

映画としては、どちらも面白いですが

何も事件が起こらなくても、物語の中に引き込まれていくような映画に、私は惹かれます。
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映画の惹句 [映画]

中学3年の時、第1志望の高校受験をすっぽかし、ある映画を観に行った。

受験当日、会場に行くバスの窓から見えた街中に貼られた美しいイラストの映画ポスターのことが

ずっと気になっていた。

その日は「マイ・フェア・レディ」というリバイバル映画の最終上映日だった。

マイ・フェア・レディ.jpg

今、大切なのは受験よりもこの映画を観ることだと、心の中の自分が囁いた。

受験を終えて観ることもできたが、その高校に合格するのは私には無理だという事も判っていた。

後ろめたい気持ちで受験会場を抜け出し、映画館に向かった。

受験を放棄したのは不謹慎だが、ビデオもDVDもない時代だったのだ。

今、観ておかないと、一生この映画を観れないのだと何度も自分に言い訳をした。

走って映画館に入ると、人生の、何かとても大切なことに間に合ったような気がした。

あの気持ちはいったい何だったんだろう。

かつて、街を歩けば「映画」の気配はいろいろな場所にあった。

駅前の広場、場末感の漂う飲食街の壁面、タバコ屋の横、角の空き地…

街中に、いろいろな映画のポスターが貼られていた。

薄ベニヤにポスターを貼り付け、電柱などに取り付けた「捨て看」も懐かしい。

「ぴあ」も「シティロード」もない頃、上映番組を知るには街のポスターが頼りだった。

映画のポスターには「愛と感動の珠玉作」などという惹句がよく書かれていて

私は、そういう言葉に素直に反応して映画を観に行っていた。

人の心を惹きつける言葉だから、惹句。宣伝文句と言うよりはいい。

アノム=あの胸にもういちど.jpg ふたりだけの夜明け.jpg ロミオとジュリエット.jpg

「むせかえるような恋の陶酔に、ひとつになって燃える男と女」
あの胸にもういちど

「傷つけあっても別れても、美しい夜明けが、ふたりをまた結ぶ」
ふたりだけの夜明け

「最も若く最も美しい愛の名篇!その時ふたりは、16歳と14歳であった」 
ロミオとジュリエット

コジン=個人教授.jpg くちづけ.jpg おもいでの夏.jpg

「こころを灼いて、恋はふりむきながら去ってゆく」
個人教授

「わたしは19歳、愛のあかしにそっと交わした、はじめてのくちづけ」
くちづけ

「はじめて愛を知ったその夏…きらめく海に涙を沈めて、あの女は去って行った」
おもいでの夏

ある愛の詩.jpg ケガレ=汚れなき悪戯.jpg いちご白書.jpg

「愛とは決して後悔しないこと」
ある愛の詩

「清らかな感動と珠玉のメロディーでつづる、愛と涙の世界!」
汚れなき悪戯

「1968年=夏、コロンビア大学。その日、太陽は輝きを失なった!」
いちご白書

「アメリカン・グラフィティ」がアメリカで公開された時の惹句は有名で

「1962年の夏、あなたはどこにいましたか(Where were you in '62 ?)」というものだった。

アメリカン・グラフィティ.jpg

当時の映画の惹句を読むと、甘くて、ありきたりな文句が多いが

あの頃の私には、そういう言葉が感傷的に胸に響いたものです。

少し前に、最近の映画が記憶できなくなったという記事を書いたが

街に貼られた映画のポスターが激減し、新作映画への馴染みがなくなったことも

その理由のひとつではないかと思う。

映画の記憶 [映画]

感性や記憶力が衰えたのか、緊張感がなくなっているのか

新作映画のDVDを観ても内容を忘れてしまうことが多くなった。

ところが、青春時代に観た映画のことはよく憶えている。

音楽も文学も演劇も、青春時代の多感な時期に受け入れたものは同じように憶えている。

「映画はいくつの時に観たかによって

生涯の映画になるか、ただその時だけの映画になるかが決まる」

誰かがそんなことを言っていたが私もそう思う。

寺山修司の「書を捨てよ町へ出よう」という映画を17歳の時に観た。

書を捨てよ.jpg

当時の私はこの作品に、かなり影響を受けた。

それからも何度と観ているが、この映画を観るときの私は、いつだって17歳に戻ってしまう。

17歳という年齢は、いろんな色を塗り散らかしたパレットのようだと思う。

いろんな絵の具の中から自分の色を探し求めていた年齢なのだろう。

この映画の終幕に、主人公の男が映画館の客席に向かって語る長いモノローグがある。

以下、引用

「あんたら昼間から、こんな暗い映画館にやってきて

何かいい事ないかな、と思ってやって来たんだろうけど、何にもないよ。

ここは闇。明りをつければ消えちまうんよ。

ポランスキーも、大島渚も、アントニオーニも、電気が点けば消えてしまう世界なんだ…」

灯りが点けばすべてが消えてしまう薄暗い映画館に、あの頃の私は昼間から入り浸っていた。

映画が終わって表へ出れば、将来に対する不安で落ち込んでしまうのに

映画を観ている間だけは、そんなことは忘れてスクリーンに映る光と影に没頭できた。

木漏れ日の中を自転車で走り抜けるように、ハツラツとした朝もあれば

出口のない部屋で不安を抱えてうずくまる夜もあった。

そんな日々の中で、ジョアナ・シムカスみたいな女の子に

いつか出逢うことがあるかもしれないなどと無邪気なことも考えたりしていた。

ジョアンナ・シムカス.jpg

青春時代に観た映画をいつまでも憶えているのは

映画を観ることと日々の出来事が、リンクしていたからだろうと思う。

だとすると、変わり映えのしない日々の中では、映画さえ記憶できなくなっていくのだろうか。

A
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型を破る [映画]

「型を破るには、まず型を知らなければならない」

正月の新聞に、そんなことが書いてあった。

若い頃、私も同じことを考えて古い時代の映画を積極的に観るようになった。

「型破り」な映像を作りたいという野心があったからだ。

ところが、古い作品を観るたび、型の美しさ、型の奥深さなど

古典映画の豊饒な魅力に私は飲み込まれていった。

それは成瀬であり、小津であり、ヴィスコンティ、ワイルダー、ルビッチ、スタンバーグ・・・

感銘を受けた監督たちの名を挙げればきりがない。

フランスのヌーヴェルヴァーグも、アメリカン・ニュー・シネマも「型を破って」生まれた作品だが

古典映画と比べると私には少々味気なく思えてきた。

フランス映画には香りがあって、アメリカ映画には匂いがあった。

私はその定義をしっかりと胸に刻んだ。

「型を破る」とイキがっていた自分が痛々しかった。

撮影技術で目先を変えるのは簡単なことだが「型を破る」とはそういうことではない。

何十年も前に、とてつもない才能の持ち主たちが映画を作っていたことを思い知った。



先日、半蔵門で用事を済ませ、友人と会うために歩いて新宿に向かった。

四谷三丁目のギターショップの前を通ると、若者が店の中でギターを弾いていました。

P1170400.JPG

新宿へ着いたが、友人との約束にはまだ時間があったので、久しぶりに歌舞伎町を散策。

思い出の抜け道という路地で、はなだ雲さんが記事にしていたビードットガールの落書きを確認。

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ギターショップの若者も、路地裏の落書きも、都市ならではの景色だなぁと思った。
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サントラ [映画]

サントラという言葉を最近聞かなくなりました。

厳密には映画に使われた音源をサウンドトラックと言うが、

当時は映画音楽なら、すべてサントラと呼んでいました。

60年代~70年代にかけて映画音楽は洋楽と並び人気の音楽ジャンルで、

映画音楽全集なるレコードがよく発売されていました。

その中には、このような曲が収められていたはずです。

エデンの東.jpg ティファニーで朝食を.jpg

シェルブールの雨傘.jpg 南太平洋.jpg

エデンの東~「エデンの東」♪レナード・ローゼンマン

ムーンリバー~「ティファニーで朝食を」♪ヘンリー・マンシーニ

トゥナイト~「ウエストサイド物語」♪レナード・バーンスタイン

魅惑の宵~「南太平洋」♪ロジャース&ハマースタイン

太陽がいっぱい~「太陽がいっぱい」♪ニーノ・ロータ

ボーン・フリー~「野生のエルザ」♪ジョン・バリー

シェルブールの雨傘~「シェルブールの雨傘」♪ミシェル・ルグラン

日曜はダメよ~「日曜はダメよ」♪マノス・ハジダキス

その男ゾルバ~「その男ゾルバ」♪ミキス・テオドラキス

鉄道員~「鉄道員」♪カルロ・ルスティケリ

男と女~「男と女」♪フランシス・レイ

映画が音を獲得して以来、映像と音楽の様々な融合が試されてきました。

初期の音楽は劇伴と言われるものが主流でした。

哀しいシーンにヴァイオリンの哀しい旋律を重ね、

楽しいシーンにピアノや管楽器などを使ったリズミカルな音楽を重ねたりと、

シーンをなぞるようなものが多かったと思います。

いわゆるベタな音付けです。

分かりやすいのですが、これでは薄っぺらい効果になってしまいます。

50年代に入り、ヒッチコック映画の作曲家バーナード・ハーマンが登場すると、

現代音楽のような不協和音が使われるようになり、映画音楽の構造も少し変わってきました。

サイコ.jpg

マイルス・デイヴィスが即興で音を付けた「死刑台のエレベーター」では、

モダン・ジャズも映画音楽として使われるようになりました。

死刑台のエレベータ.jpg

60年代半ば以降、ポップソングやロックが使われるようになり、

映像と音楽が重なった時、どのような効果が生まれるかの試みが盛んに行われました。

そして、いくつかの作品が大いなる効果を上げました。

卒業.jpg 華麗なる賭け.jpg

真夜中のカーボーイ.JPG イージーライダー.jpg

「卒業」「華麗なる賭け」「真夜中のカーボーイ」「イージーライダー」に続き、

「明日に向かって撃て」の有名な自転車のシーンが生まれたのもこの頃です。



最近の映画やテレビドラマは、劇とは無関係な主題歌やテーマ曲を持ち込む風潮があります。

やはり映画音楽は、劇付随音楽に徹し、音楽を映像に反映させてもらいたいと思う。

僕がもっとも好きな映画音楽は、「冒険者たち」のテーマ曲「航海日誌-Journal de bord」です。

作曲はフランソワ・ド・ルーベ(Francois de Roubaix)です。

「冒険者たち」は、若き日の夢の終わりを描いた作品で、

高校時代の僕は映画にも音楽にも、たちまち魅了されてしまいました。

何度観ても、何度聴いても飽きることがなく、いつも新鮮な感覚をもたらしてくれます。

「冒険者たち~航海日誌」は、ふたつの異なったパートで構成されています。



ピアノと弦の刻みによる、サスペンスフルでリズミカルなパートと

口笛とギターのアルペジオによるリリカルなパートです。

映像に合わせた劇伴として、まったく違う二つのメロディが交互に出てきます。

他に同じような構造の映画音楽を聴いたことがありません。

一筋縄ではいかないコード進行も観客の心を捉えます。

かなり実験的ですが、映画音楽としては見事な完成型を示していると思います。

フランソワ・ド・ルーベは、ニーノ・ロータやフランシス・レイ、ミシェル・ルグランとならび、

もっと評価されるべき作曲家だと思うのです。
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極私的日本映画ベストテン [映画]

好きな映画は何度も繰り返して観ます。

僕にとっていい映画は、何度も繰り返して観る映画です。

成瀬巳喜男や小津安二郎だけでベストテンが作れてしまうほどです。

だから、日本映画のベストテンも同じ監督の作品は選ばないということを条件にしました。

天変地異や大事件に挑むヒーローを描いた物語よりも、

畳の上に転がった10円玉から始まるような物語のほうが僕は好きです。

黒澤明作品がベストテンに入っていないのは、そういう理由かもしれません。

1.流れる 監督:成瀬巳喜男

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東京柳橋の芸者置屋が時代に取り残されていく物語の中に、

ひとつの時代の終焉を描いた作品。

ひとつの世界が滅びるときの哀しさ、儚さ、美しさ、無常感。

黄昏を見つめる成瀬巳喜男監督のまなざしと冷静さは、見ていて鳥肌が立つ。

成瀬は普通の映画なら見せ場になるようなシーンを、あえて描かない。

ケレンや誇張を嫌い、映画としてのたたずまいや光と影には細やかに心を配る。

そして時に観客を突き放す。

その突き放された感覚が不思議な余白となって深い印象を残す。

日本映画芸術の最高峰に位置する作品で、途方に暮れるほどの傑作だと思う。

2.東京物語 監督:小津安二郎

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家族のつながりと、その喪失を描いた小津安二郎の傑作。

東京に住む子供たちに会いに来た老夫婦が感じる親子関係の違和感が、

しみじみと描かれる。

やわらかで、繊細で、おだやかなまなざしの中で語られる人生の無常感に、

胸が揺さぶられる。

3.祇園囃子 監督:溝口健二

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伝統的なしきたりが残る京都の色街に生きる芸妓と、

それを取り巻く人々の人間模様を描いた溝口健二の傑作。

女たちの心のありようや生き方を素晴らしい情感で見せていく。

同じ溝口作品の「西鶴一代女」とどちらを選ぶか相当迷った。

4.按摩と女 監督:清水宏

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山間の温泉地の按摩が、東京からきた謎の女(高峰三枝子)に、

ほのかな恋心を抱くという物語。

盲人の恋をとおして、映画の中に「音と匂い」の気配を描くことに成功した作品。

息をのむような緊張感を醸し出す緻密な演出力に驚愕する。

5.二十四の瞳 監督:木下恵介

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島に赴任した一人の女教師と12人の教え子たちの心のつながりを描いた作品。

泣ける映画やヒューマニズムを前面に出した映画は好きではないが、この作品は別格。

数々の名場面に、無条件に感動してしまう。

叙情派木下恵介の真骨頂。

6.白い巨塔 監督:山本薩夫

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大学医学部内の権力争いや、大学医学部内の裏側を描いた作品。

すべての登場人物のキャラクターの描き方が印象的でこれほど秀逸な作品は

「七人の侍」とこの作品ぐらいしか思いつかない。

映画は、人物のキャラクター造形が大事なのだと思わせてくれる作品。

7.祭りの準備 監督:黒木和雄

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映画の脚本家になる夢を持つ主人公が、青春期特有の性の悩み、家族の問題、

地元のしがらみの中で、祭りを求めてさまよう姿を描いた作品。

青春とは、いつの時代にも、祭りの準備の季節なのだ。

8.夫婦善哉 監督:豊田四郎

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生活力も計画性もない道楽男と、そんな男についていくしっかり者の女房の

男女の機微を情感たっぷりに描いた作品。

ダメっぷりを感じながらも、離れられない男と女のダラダラとした曖昧な関係を繊細に描くことは、

日本映画にしかない表現ではないだろうか。

森繁久弥と淡島千景。名優たちの息の合った演技も素晴らしい。

9.Keiko 監督:クロード・ガニオン

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大学を卒業したばかりのOLが、結婚するまでの恋愛観と人生観を描いた作品。

劇映画なのに、主人公の女性のドキュメンタリーのような不思議な感覚をもっている。

カナダ人の監督クロード・ガニオンがみずみずしい感覚で、70年代の日本人女性を描いている。

10.八月の濡れた砂 監督:藤田敏八

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夏の終わりの湘南海岸を舞台に、青春の反逆的願望とシラけた感情を描いた作品。

ヨットが行くあてもなく彷徨うラストシーンが、当時の日本映画の運命を暗示していた。

高校2年の時、観客がたった2人だけの封切館で、この映画を観た。

この作品には個人的な思い入れが強くある。

以下、ベスト30

11.サード 監督:東陽一

12.遠雷 監督:根岸吉太郎

13.午後の遺言 監督:新藤兼人

14.しとやかな獣 監督:川島雄三

15.天国と地獄 監督:黒澤明

16.切腹 監督:小林正樹

17.男はつらいよ 寅次郎あじさいの恋 監督:山田洋次

18.櫻の園 監督:中原俊

19.ナビイの恋 監督:中江裕司

20.あの夏、いちばん静かな海 監督:北野武

21.書を捨てよ町へ出よう 監督:寺山修司

22.日本の夜と霧 監督:大島渚

23.人間蒸発 監督:今村昌平

24.リンダリンダリンダ 監督:山下敦弘

25.青春デンデケデケ 監督:大林宣彦

26.火宅の人 監督:深作欣治

27.ヴァイブレータ 監督:廣木隆一

28.ゆきゆきて神軍 監督:原一男

29.悪人 監督:李相日

30.間宮兄弟 監督:森田芳光
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極私的映画ベストテン [映画]

何年かにいちど、極私的映画ベストテンを選んでいます。

順位に意味はなく、同じ監督の映画は入れないということを条件に10本選びました。

かつてのときめきを喚起させ、胸躍らされる映画があるということは、

人生の幸せのひとつであると思っています。

1.アパートの鍵貸します
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狡くて、愚かで、滑稽…それでも人間は純粋に人を愛し苦悩する。

そんな人間の姿を愛おしく描写した愛すべき映画。

何度見ても傑作だと思う。

2.ゴッドファーザー PART2
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若き日の父が人間的な温かみで人望を得てのしあがっていく姿と、

あとを継いだ息子が、家族や組織を守るために

次々に最愛の者たちを切り捨て孤独を深めていく姿を対比させ、

人生の無常を描いた作品。

3.冒険者たち
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青春の終焉、友情と純愛を描いたリリシズムあふれる名作。

何かを得て何かを失うといった青春映画の定石を、

これほどみずみずしく描いた作品を他に知らない。

4.スモーク
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人は皆、思い通りの人生を生きているわけではない。

それぞれの男たちの中にある孤独とロマンティシズムが、

ブルックリンの煙草屋の店先やコーヒーショップで次々にあぶりだされていく。

5.バベットの晩餐会
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料理を通して人生の幸福を描いた作品。

たった1度の晩餐会に大金を使ってしまったことに驚いた老姉妹が、バベットに言う。

「これでは、あなたは一生貧乏のままだわ…」

バベットが答える。

「貧しい芸術家はいません」

この台詞に胸を打たれる。

6.ハンナとその姉妹
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芸術家の両親を持つ三姉妹の人生や恋愛を描いた作品。

3姉妹はそれぞれのカタチで、愛する人と判りあい、すれ違い、失望し、

さらなる愛を求めていく…

3姉妹にからむそれぞれの男たちの愚かで滑稽な姿を群像劇のように描いた

アレン絶頂期の傑作。

7.若者のすべて
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家族愛、兄弟愛、愛と憎しみ、幸福と原罪など、さまざまなテーマを見事に描いた作品。

ネオリアリズム色を前面に打ち出したヴィスコンティの初期の傑作。

「ゴッドファーザー」は、明らかにこの映画の影響を受けていると思われる。

8.マイ・ライフ・アズ・ア・ドッグ
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母親の病気のために田舎の叔父さんの家で過ごすことになった少年の物語で

思春期直前の少年の繊細な心理を描いた作品。

少年は、辛いことがあると人工衛星に乗せられて死んだライカ犬の事を思う。

それに比べれば自分はまだマシな方だと。

9.ラ・ヴィ・ド・ボエーム
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パリで暮らす3人の貧しいボヘミアンの報われない日々を、飄々としたタッチで描いた作品。

3人の中年ボヘミアンは、自分の作品にプライドと希望を持って生きようとする。

彼らは貧しくはあるが、自由であることをあきらめない。

10.八月の鯨
ハチガ=八月の鯨.jpg   
老姉妹の夏の二日間を静かに描いた作品。

老いがテーマの映画は重く暗いテーマになりがちだが、

終わりを迎えるその瞬間まで、人は生き続けることができるのだと思わせてくれる。

題名にある鯨は、映画の中では姿を現さない。

信じれば必ずやってくる希望の象徴として描かれている。

以下ベスト30
11.めぐり逢い  
12.男と女
13.旅情
14.シェルブールの雨傘
15.イヴの総て
16.ラスト・ショー
17.スプレンドール
18.月の輝く夜に
19.グランドホテル
20.甘い生活
21.髪結いの亭主
22.おもいでの夏
23.卒業
24.初恋の来た道
25.スケアクロウ
26.さらば、冬のカモメ
27.素晴らしき哉、人生
28.さらば、わが愛 覇王別姫
29.ライムライト
30.ニュー・シネマ・パラダイス
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男はつらいよ [映画]

そらへいさんや2kさんのブログに映画「男はつらいよ」にふれた記事があったので、

久しぶりに「男はつらいよ」を2作品ほど引っ張り出してみた。

このシリーズは、3作目ぐらいまではリアルタイムで観ていたが、

それ以後は次々に新作が公開されても、ほとんど無視していた。

毎回同じ設定で繰り広げられる風来坊話に、あまり興味がわかなかったのだ。

渥美清が亡くなった後に、4ヶ月かけて全48作品を観た。

改めて観てみると、なんとも味わい深い作品だということに気付いた。

突出したキャラクターを作り出した監督の山田洋次と

役を演じた俳優の渥美清のすごさに感服した。

誠実な目線で切り取られた、生活感のある昭和の景色も素晴らしい。

「男はつらいよ」が愛される理由のひとつに、寅の台詞回しの良さがある。

寅次郎は自分のことに関しては、まったくのダメダメ男だが、

他人の悩み事や人生については的確な名言を吐く。


映画「男はつらいよ 柴又より愛をこめて」

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夫と喧嘩して家出したあけみ(美保純)を諭す寅の台詞。

「ねぇ、愛ってなんだろう」

「お前も、めんどうなこと訊くねぇ。

ほら、いい女がいたとするだろう。

男はそれを見て、ああ、いい女だなぁ。

俺はこの女を大事にしてぇ。そう思うだろう。

それが愛っていうのじゃないか」


映画「男はつらいよ あじさいの恋」

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失恋して郷里に戻った、かがり(いしだあゆみ)をなぐさめる寅の台詞。

「誰を恨むってわけにはいかないんだよな、こういうことは。

そりゃ、こっちが惚れてる分、向こうもこっちに惚れてくれりゃぁ、

世の中に失恋なんていうのは、なくなっちゃうからな」


ほぼ全作品に、このような台詞がちりばめられている。

「男はつらいよ」シリーズには多くの名作がある。

浅丘ルリ子の「寅次郎忘れな草」や太地喜和子の「寅次郎夕焼け小焼け」などが有名だが、

僕は、いしだあゆみが、かがりという清楚な女を演じた「寅次郎あじさいの恋」が気に入っている。

漁村の舟屋で、かがりが「飲まない?」と寅に酒をさすシーンから、

それまでの「男はつらいよ」とはちがうムードが漂いはじめる。

かがりは、寅を強く意識している。

寅も、かがりの思いに気づいている。

その夜、かがりは心優しい寅に身を任せようとする。

かがりは、ふすまを開け寅の寝ている部屋に入ってくる。

部屋の窓を閉め、電気を消し、寅の横に座る。

寅は寝たふりをして、それに応えようとしない。

かがりは、寅が寝たふりをしていることを察しているが、じっと待つ。

それでも寅は目を開けない。

かがりは寅を諦めて、そっと部屋を出ていく。

画面は、そっと部屋を出て行くかがりの素足のクローズアップを捉える。

そのショットが、かがりの中にある秘められた思いを表現しようとする。

この一連のシーンは台詞もなく、夜の海辺のさざなみの音がかすかに聴こえてくるだけだ。

まるでヨーロッパの恋愛映画のような緊張感のあるシーンになっている。

僕は息を飲んでこのシーンに見いってしまった。

「寅次郎 あじさいの恋」は、清楚さと大胆さを併せ持った女の思いを、

いしだあゆみが美しく演じた作品だ。
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大島渚の訃報 [映画]

映画監督 大島渚が亡くなりました。

大島渚は、一貫して権力構造に対峙し続けた、戦う映画監督でした。

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大島作品を初めて観たとき、なんと難解で知的でパンクな映画なんだろうと思った。

一般の映画は物語や感情の起伏を描きながらカタルシスに導いていくが、

大島作品は、作品のテーマについて観客に問題提起を促す作品が多い。

そして、情緒的な映画文法を次々に破壊し、かなり実験的なことを積極的に試み、

過激ともいえる映画作法で作品を作り続けた。

そのために、映画としては少々観づらい作品だという印象もあった。

たとえば、まったく演技経験のない人を俳優に起用したり、

劇映画の中にインタヴュー映像をインサートしたり、

写真とナレーションだけで映画を構成したり、

極端に少ないカット数で映画を撮ったり、

逆に極端に多いカット数で映画を撮ったり、

丹念に物語を紡ぐかと思えば、あえて物語の統合を拒否してしまったりもする。

国内では上映不可能なハードコア作品にも挑戦した。

そうすることで、生涯にわたって反権力への姿勢を貫き、円熟した職人になることを拒んだ。

映画監督は自分のスタイルを確立するまで様々な試行錯誤を繰り返す。

そのスタイルが自分の表現に見合うものなら、それを確立して発展させようとする。

溝口健二しかり、成瀬巳喜男しかり、小津安二郎しかりである。

しかし大島渚は、映画のスタイルや表現コンセプトを次々と更新していく映画監督だった。

今日、久しぶりに「日本の夜と霧」「青春残酷物語」の2本をDVDで観直した。

ゴダールをして、大島渚の「青春残酷物語」こそが、

本当の意味でのヌーヴェルヴァーグの最初の作品だと、言わしめたことも頷ける気がした。

映画監督として矜持と気骨を持って生きてきた人なんだな、としみじみ思う。

ご冥福を祈ります。


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