ピンク映画 [映画]
先日、本宮映画劇場の田村さんから、ピンク映画のカットポジをいただいた。
本宮映画劇場は休館する1年ぐらい前に、
フィルム代の安い大蔵映画系のピンク映画を上映していたらしい。
閉館する多くの映画館がそうだったように、本宮映画劇場も休館前はピンク映画を上映していた。
僕がピンク映画をはじめて観たのは1971年ごろで、日活がロマンポルノの制作を始めた年だった。
高校生の僕は、フランス映画やATG作品ばかり見ていたわけではなく、
こういう作品にもかなり興味があった。
最初に観たのは日活ロマンポルノではなく、いわゆるピンク映画というやつだ。
コートの襟を立て学生服を隠してピンク映画館に入った。
切符売り場で緊張しながら「大人一枚!」と言ったのを覚えている。
冷静に考えれば成人映画に高校生の料金なんてないのだが。
当時のピンク映画は一般のシーンはモノクロで、濡れ場になるとカラーになるという、
パートカラー方式が主流だった。
全編カラーフィルムで撮ると、フィルム代やプリント代が高くつくので、
こういうスタイルが生まれたのだろう。
ルルーシュの「男と女」もそういう理由でパートカラーで撮影されている。
「男と女」は、それがアートフィルム特有の「ねらい」になったけど、
ピンク映画は、それが扇情的な気分を盛り上げる要素になっていた。
足を組んで座席にもたれていた観客は、
画面がカラーになると一斉に姿勢を正してスクリーンを観たものだ。
日活ロマンポルノの「白い指の戯れ」や「四畳半襖の裏張り」が、
キネ旬のベストテンに入るようになると、ピンク映画に対する世間のイメージが少し変わってきた。
大学の友人の中には、ピンク映画の現場で助監督や撮影部の助手をやるものもいた。
当時、撮影所で仕事するためにはフリーの助監督から叩き上げなくてはならなかった。
そして助監督になっても映画監督になる道は保証されているわけではない。
そんな状況の中で若い映画人たちは、ピンク映画の中に新しい表現を模索していた。
やがてロマンポルノ作品に、作家的な思いを込めた作品が多く輩出されるようになった。
「遠雷」の根岸吉太郎、「シャル・ウィ・ダンス」の周防正行、「おくりびと」の滝田洋二郎、
「パッチギ」の井筒和幸、「血と骨」の崔洋一などがその代表だろう。
1982年ごろ、ある女性から相談を受けたことがある。
日活から映画の出演依頼の話があるけど、どうしようかということだった。
脚本を見せてもらうとロマンポルノ作品で、原作は団鬼六だった。
彼女は、ロマンポルノも団鬼六も知らなかった。
僕は、ロマンポルノがどんなものか一度観てから考えたらどうかと、答えた。
数週間後、すでに日活で撮影に入っていると、彼女から連絡があった。
「縄で縛られているシーンが多いから、つい眠くなってしまうの」などと言っていた。
まもなく「団鬼六作品に和製オリビア・ハッセー、出演」という記事をスポーツ新聞で見た。
ああ、そういうキャッチフレーズで売り出すのかと、ちょっと複雑な気分で記事を読んだ。
彼女は、5本のロマンポルノに出演後、引退した。
引退後は、日本アカデミー賞授賞式で司会に抜擢されたり、
一般映画やテレビドラマに出演していたが、大きく飛躍することはなかった。
女優さんは、ある意味でしたたかな部分を持っていないと務まらないが、
彼女には、そういう部分が不足していた。
逆に言えば、そういうしたたかさのないところが彼女の良さだったので、
あのままSMの女王とやらには、なってほしくなかった、というのが本音だ。
現在は、あるタレントの奥さんとして幸せに暮らしている。
本宮映画劇場は休館する1年ぐらい前に、
フィルム代の安い大蔵映画系のピンク映画を上映していたらしい。
閉館する多くの映画館がそうだったように、本宮映画劇場も休館前はピンク映画を上映していた。
僕がピンク映画をはじめて観たのは1971年ごろで、日活がロマンポルノの制作を始めた年だった。
高校生の僕は、フランス映画やATG作品ばかり見ていたわけではなく、
こういう作品にもかなり興味があった。
最初に観たのは日活ロマンポルノではなく、いわゆるピンク映画というやつだ。
コートの襟を立て学生服を隠してピンク映画館に入った。
切符売り場で緊張しながら「大人一枚!」と言ったのを覚えている。
冷静に考えれば成人映画に高校生の料金なんてないのだが。
当時のピンク映画は一般のシーンはモノクロで、濡れ場になるとカラーになるという、
パートカラー方式が主流だった。
全編カラーフィルムで撮ると、フィルム代やプリント代が高くつくので、
こういうスタイルが生まれたのだろう。
ルルーシュの「男と女」もそういう理由でパートカラーで撮影されている。
「男と女」は、それがアートフィルム特有の「ねらい」になったけど、
ピンク映画は、それが扇情的な気分を盛り上げる要素になっていた。
足を組んで座席にもたれていた観客は、
画面がカラーになると一斉に姿勢を正してスクリーンを観たものだ。
日活ロマンポルノの「白い指の戯れ」や「四畳半襖の裏張り」が、
キネ旬のベストテンに入るようになると、ピンク映画に対する世間のイメージが少し変わってきた。
大学の友人の中には、ピンク映画の現場で助監督や撮影部の助手をやるものもいた。
当時、撮影所で仕事するためにはフリーの助監督から叩き上げなくてはならなかった。
そして助監督になっても映画監督になる道は保証されているわけではない。
そんな状況の中で若い映画人たちは、ピンク映画の中に新しい表現を模索していた。
やがてロマンポルノ作品に、作家的な思いを込めた作品が多く輩出されるようになった。
「遠雷」の根岸吉太郎、「シャル・ウィ・ダンス」の周防正行、「おくりびと」の滝田洋二郎、
「パッチギ」の井筒和幸、「血と骨」の崔洋一などがその代表だろう。
1982年ごろ、ある女性から相談を受けたことがある。
日活から映画の出演依頼の話があるけど、どうしようかということだった。
脚本を見せてもらうとロマンポルノ作品で、原作は団鬼六だった。
彼女は、ロマンポルノも団鬼六も知らなかった。
僕は、ロマンポルノがどんなものか一度観てから考えたらどうかと、答えた。
数週間後、すでに日活で撮影に入っていると、彼女から連絡があった。
「縄で縛られているシーンが多いから、つい眠くなってしまうの」などと言っていた。
まもなく「団鬼六作品に和製オリビア・ハッセー、出演」という記事をスポーツ新聞で見た。
ああ、そういうキャッチフレーズで売り出すのかと、ちょっと複雑な気分で記事を読んだ。
彼女は、5本のロマンポルノに出演後、引退した。
引退後は、日本アカデミー賞授賞式で司会に抜擢されたり、
一般映画やテレビドラマに出演していたが、大きく飛躍することはなかった。
女優さんは、ある意味でしたたかな部分を持っていないと務まらないが、
彼女には、そういう部分が不足していた。
逆に言えば、そういうしたたかさのないところが彼女の良さだったので、
あのままSMの女王とやらには、なってほしくなかった、というのが本音だ。
現在は、あるタレントの奥さんとして幸せに暮らしている。
こんばんは^^)
パートカラーという方式があったとは知りませんでした(驚)
今ならさらに斬新かも知れませんね^^)
昔のピンク映画やロマンポルノ映画には
扇情的な要素が商業的には最優先だったのかも知れませんが
ストーリーや芸術性を何となく感じたものです☆
今の若い世代に見せたらどう映るのでしょうか~☆
by rtfk (2012-11-29 19:33)
学生の頃蒲田の裏路地を通って通学しているとき
日活ロマンポルノの看板がありました
看板をジーと観たら不良にでもなるかのように
わざと見ないようにそれでもチラッと観ながら
毎日通っていました(笑)
荒木一郎が出演していたのですね
彼の「星に願いを」は大好きでした。
by めい (2012-11-29 19:55)
ピンク映画?女性客は入りにくかったでしょうね!
興味を持ちだした頃…青春の一コマですね☆
by 塚ぴょん (2012-11-29 20:44)
冒頭の田村さんからのカットポジいいですね。
東京キッドブラザーズと言う懐かしいです名を聞かせて頂きました。
ひところ柳さんの作品を熱中して読みました。
黄金町あたりの描写と、ピンク映画路線妙にリンクしてしまいました。映画館の上映映画のキャビネ版の白黒写真にピンク映画の誘惑が漂っていました。パートカラーではないけど、白黒に部分着色した「笛吹川」という作品が印象的でした。
by SILENT (2012-11-29 21:30)
ロマンポルノ学生の頃、よく見ました。
初めて見たのが、高校生の頃でした。
その女優さんは、高倉 美貴さんでしょうか。
その時代は、もうロマンポルノを見なくなっていたので
実際の映画は見ませんでしたが・・・・
by 八犬伝 (2012-11-29 21:36)
今晩は。
映画館、淘汰されて。すっかり街から消えました。
by 夏炉冬扇 (2012-11-29 22:06)
華やかなキネマの時代から映画館が場末(こういう言い方は失礼かもしれませんが)に傾く過程で、ロマンポルノは最後の叫びの様に思えます。
僕らの学生時代はバブルの真っ最中で、スクリーンが大型化し、皆スピルバーグにに憧れ、一方小さな映画館がどんどん成人映画に代わって行きました。大阪・梅田辺りの ポリシーを持って興業面で難しそうな映画を取り扱っていた映画館が次々と潰れてしまった事を覚えています
by ダミアン88 (2012-11-29 22:24)
入ったことないです(笑)
by さきしなのてるりん (2012-11-29 22:25)
当時その存在は認識していましたが、足を運ぶ勇気はには
至りませんでした。
その反動か、留学してすぐにアメリカ本場・本物にいきなり
触れることとなり、まさにカルチャーショックの連続でありました。
帰国して悟ったのは、「隠す文化」は素晴らしい事なのだという
ことでした。今では半分違ってますけど...。
by Lonesome社っ長ょぉ〜 (2012-11-29 22:58)
ガキの頃、見たくて見たくてたまりませんでした^^;
by DEBDYLAN (2012-11-29 23:28)
まさに人生色々ですね。
伊佐山ひろ子さん、北の国からでの黒板五郎が激怒するラーメン店の店員役は忘れられません。。。
by ちょんまげ侍金四郎 (2012-11-30 08:28)
伊佐山ひろ子って良かったですね。ちょっとふてくされて煽情的な感じ(昔の彼女にそっくりでした、伊佐山ひろ子もブスっぽいが)。主演が荒木一郎ってのもはまり役。
ロマンポルノは、あまり見なかったですけど、フランス映画の明日なき夜とか18禁の処女の泉は印象に残っています。あの頃のヨーロッパ映画の濡れ場って今みたいにモロじゃなく想像たくまでエキサイトしました。気取っていうとエロスでしょうか。
by beny (2012-11-30 08:58)
rtfkさま
若い映画人たちは、低予算のピンク映画の中に、
作家魂をこめた作品を作っていたんですね。
その意味において、今のAVとは違うんです。
そういう、作家性は今観てもわかると思います。
by cafelamama (2012-11-30 13:31)
めいさま
荒木一郎は反逆心のつよい人でしたから、
こういう作品に積極的に出演していた時期があります。
そして、シンガーソングライターの草分けでもありますね。
ロマンポルノの看板をチラ見していためいさんの高校生時代は、
どんなものに興味があったんでしょうか。
by cafelamama (2012-11-30 13:34)
塚ぴょんさま
女性の一人客なんていません。
女性がいると思ったら、女装のそっち方面の方ですね。
館内で客を取るんですね。
by cafelamama (2012-11-30 13:36)
SILENTさま
カットポジの作品名がわかるといいんですが、残念ながらわかりません。
東京キッドブラザースに僕が在籍していたころは、柳さんはまだ入団していませんが、かなり強烈な個性の人だったということを聞いています。
黄金町は僕もよく知っていますが、ずいぶん変わりましたね。
ガード下のちょんの間もなくなり、アートスタジオやブティックが並ぶように
なりました。
木下恵介の「笛吹川」はまだ観てないんです。
by cafelamama (2012-11-30 13:49)
八犬伝さま
その通りです。高倉美貴さんでした。
彼女のロマンポルノ作品を観たときは、さらに複雑な心境でした。
by cafelamama (2012-11-30 13:51)
夏炉冬扇さま
街から映画館が消えるとは、なんともお寒い文化です。
by cafelamama (2012-11-30 13:52)
ダミアン88 さま
おっしゃるように、ポルノ映画を上映し始めるということは
映画館の最後の叫びです。
単に映画を観るだけなら、僕もDVDでいいと思います。
しかし映画館に出かけるという行為には、もっといろんな側面があって、
それがすごく大事なんだと思っています。
思い出の映画、思い出の映画館、そんなところで自分は育ってきました。
by cafelamama (2012-11-30 14:01)
てるりんさま
いちど、お連れ様とご覧になってはいかがでしょうか。
これもひとつの経験ということで。(笑)
by cafelamama (2012-11-30 14:04)
Lonesome社っ長ょぉ〜さま
19歳の時、NYのタイムズスクエアで
「DEEP THROAT」や「GREEN DOOR」といった作品を観ました。
あまりにも直截過ぎて、恥を知れと思いました。
作家の良心やクリエイティブというものがまったく感じられませんでした。
だからといって、日本のほうがすぐれているとも思えませんが。
by cafelamama (2012-11-30 14:13)
DEBDYLANさま
僕らの頃は、巷に性的なものの露出が少なかった分、
街なかのピンク映画館には興味をそそられました。
学生服で入場を決行した友人もいました。
by cafelamama (2012-11-30 14:16)
ちょんまげ侍金四郎さま
伊佐山ひろ子、といえば「北の国から」のシーンが印象深いですね。
でも、僕らの時代は、伊佐山ひろ子といえば、日活ロマンポルノの名作に
出演していた不思議な女優というイメージでした。
by cafelamama (2012-11-30 14:19)
benyさま
荒木一郎と伊佐山ひろ子ってだけで、何か感じます。
伊佐山ひろ子は70年代に名作をのこした女優ですね。
ベルイマンの「処女の泉」は、観たことがありますが、
「明日なき夜」は、60年代初期の作品ですね。
僕はこの作品知りませんでした。
by cafelamama (2012-11-30 15:12)
kujigawanoayuさま
「銀星映画劇場」知ってます。
家内の実家の近所なので、今でもよく前を通ります。
この映画館に、同好の相手探しの人が現れる
というのを僕も聞いたことがあります。
いまだ現役でやっているのが凄いですね。
by cafelamama (2012-11-30 15:16)
高校の頃日活ロマンポルノの映画館の前を通るときに横目でチラチラ見ていた覚えがあります(^^;)女の子でもちょっと興味があるもんです(^^)
荒木一郎ですね、懐かしいなぁ~!
小指ちょっとちっちゃくなりましたが、回復してます!ありがとうございます。
by リキマルコ (2012-11-30 15:52)
リキマルコさま
小指、元通りの大きさに回復するんでしょうか。
心配です。
僕は、街のポスターを見るときはチラ見していましたが、
女の子でも、ロマンポルノの映画のポスターは気になるんですね。
by cafelamama (2012-11-30 16:39)
何か戦後の高度経済成長時代の裏面を垣間見たような気がします!
私の叔父は、関敬六さんや、大宮敏光さんと浅草の舞台で軽演劇をやっていたそうです。
テレビでも何本かレギュラーを持っていたようです。
by 駅員3 (2012-11-30 20:37)
大学の寮に入って、最初に仲間と意気投合したのが
ピンク映画館に行くことでしたね(笑)
そうです、パートカラーでした。
方や、映画館のポスターには高倉健さんの任侠ものがありましたっけ
日活ロマンポルノは一時期、学生運動とちょっとリンクしたこともあったような・・・
吸殻や食べ物のごみが散らかった小便くさい場末の映画館
懐かしいですね。
今はすっかりどこもこぎれいになっていて・・・
でも今のポルノ事情からすると昔のピンク映画
かわいかったですね。
by そらへい (2012-11-30 23:18)
私も当然ながらピンク映画、年齢を偽って観たもんです。やはり大蔵映画や新東宝のもの・・・最近まで浅草ではそのてのピンク映画を上映してたんですがねぇ。。
日劇地下でATGもよく観ました。ここも今は有名監督の若かりし頃の作品が多くありましたね。初デートの映画鑑賞は大森一樹の「ピポクラテスたち」でしたが、今思えば彼女にはちょっと悪いことしたかなぁーという思いがあります。
初でしたからね、もっと大劇場のメジャーな作品にするべきだったかと・・。(笑)
by KEI (2012-12-01 01:26)
宮下順子様には甘えていました。田中真理さんは足が長いのに期間は短くて残念でしたが大好きでした。小川節子さんは好きな女性のタイプとなり、そのイメージは今でも追っています。性々堂々と入場しておりました。
by tommy88 (2012-12-01 05:08)
> 画面がカラーになると一斉に姿勢を正してスクリーンを観たものだ。
当時の熱気が伝わってきます!(笑)
団鬼六など日本製SMの世界は相応のセンスがなければ作品化は難しく、たとえばちょっと前に杉本彩が主演していたけれど、「杉本彩」という時点でもはや日本製SMの世界にならないのは明らかだ・・・などと思ったものです。
RUKO
by 末尾ルコ(アルベール) (2012-12-01 09:00)
駅員3さま
叔父さまは、でんすけ劇場などの出演してらしたんでしょうね。
ひょっとしたら子供の頃、テレビ放送で見たことがあるかもわかりません。
文化の裏側にあるものは、興味深いです。
by cafelamama (2012-12-01 17:23)
そらへいさん
今もピンク映画は作られているようです。
パートカラーではなく、フルカラーですが。
これだけDVDやネットが浸透しても、
そういう映画館に行くファンはいるようです。
横浜にある光音座という映画館ではホモ映画などを上映しています。
もっとも、映画鑑賞というより、同好の士を探すためという目的でしょう。
最近は、ピンク映画館に入ることもないですが、今のAVと比べると、かわいいもんですよね。
by cafelamama (2012-12-01 17:29)
KEIさん
最初のデートに「ヒポクラテスたち」を選ぶというのは、当時はかなりおしゃれな選択だったんではないでしょうか。
そういう映画をデートに選んだKEIさんのセンスはなかなかだと思います。
メジャー作品なら、タイトルすら覚えていないかもしれません。
僕の初デートはルルーシュの「愛と死と」でした。
これも、僕的にはミスチョイスでした。
by cafelamama (2012-12-01 17:33)
tommy88さま
田中真理、好きでした。大好きでした。
昔「女子大生セックス方程式」という映画のロケを大学でやっていました。
田中真理が主演なのでロケを見物してたら、エキストラとして田中真理の
後ろを歩け、ということになりちょっと興奮したことを覚えています。
名画座しか行ってなかった学生時代、はじめてロードショーを観に行ったのはその作品でした。
by cafelamama (2012-12-01 17:44)
ルコさま
パートカラー、かなり鮮烈でした。
ロケーションはモノクロ、室内の絡みのシーンはカラー、という感じです。
女優の裸体を基準にしたライティングなので、
スクリーンで観ると、なかなかの迫力でした。(笑)
そういえば、杉本彩のSM映画がありましたね。観てません。
ウディの「ミッドナイト・イン・パリ」このところ、何度も観ています。
by cafelamama (2012-12-01 17:49)
こんばんは。
荒木一郎さんが自転車泥棒をしていたシーンがありました。
タイトルは忘れました・・・。
by sigedonn (2012-12-01 23:35)
名だたる有名映画監督さんたちも
最初はピンク映画を撮っていらしたんですか
あと「縛られると眠くなる」の、ですか??
神楽坂にも「くらら劇場」というアダルト映画館があって
どうやらゲイの人たちの出会いの場のようなのです
by はなだ雲 (2012-12-02 00:55)
sigedonnさま
荒木一郎さんが自転車泥棒をしていたシーン。
何という映画でしょうか。
僕もわかりません。
荒木一郎の映画出演作は、かなりあるようですね。
by cafelamama (2012-12-02 07:49)
はなだ雲さま
数年前まで、三越裏に新宿昭和館地下というピンク映画館がありました。
そこである映画を観ていたら、
映画館のスクリーンと客席が映し出されました。
映画館の客席でホモの客が、若い男の子に手を出そうというシーンです。
覚え見のあるスクリーンだと思ったら、自分が今いる昭和館地下でした。
そして、痴漢の座る位置が、どうもその時自分が座っている座席と
同じような位置だったのです。
こんなこともあるのか、と思ったピンク映画館体験です。
by cafelamama (2012-12-02 07:50)
良い週末を~(^_-)
まさに、have a nice day!( ̄▽ ̄)b
ご訪問ありがとうございました。
by ブランドコピー時計 (2012-12-03 12:22)
名画座によく行きました。
by lamer (2012-12-03 18:01)
「白い指の戯れ」、何年か前に ラピュタ阿佐ヶ谷て゛観やした。
荒木一郎さんの唄うブルースの世界が好きだったりしやす。
最近は、やはりラピュタで 内田裕也主演の「嗚呼!女たち猥歌」を。
この作品、そっち系の映画としては かなりの秀作だと思いやした。
段取り芝居だったり 裕也さんの芝居が下手でどういう感情だか解らないとことかありやしたが
創り手のエネルギーに圧倒されやした(◎o◎)b
by ぼんぼちぼちぼち (2012-12-20 22:12)
エドガー・ドガ油絵 直筆 複製画
artkopi.com
by エドガー・ドガ (2013-12-21 15:34)