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燃え尽きた星 [暮らし]

茨城県のひたちなか市にある実家に戻って、もうすぐ2年が経ちます。

長い間、横浜で暮らしていたので、ある程度の不便さは覚悟していたのですが、

予想に反して、以前より暮らしは便利になりました。

近所にある巨大ホームセンターのあるエリアには、いろいろな店が集中していて、

あちこちへ足を運ぶ必要がありません。

家電量販店、大型書店、シネコン、スーパー、薬局、ユニクロ、コーヒーチェーン、

家具量販店、スポーツ用品店、ファミレスなどがあり、来年はコストコもできるようです。

そこに行けば、ほとんどの用は足りるようになっています。

ただ、どうしても当地では満たされないものがあります。

レストランの愉しみです。

時々、東京のレストランを思い出すことがあります。

今はなきレストラン。今も続くレストラン。

「コート・ドール」「アピシウス」「ロオジェ」「プティ・ポワン」「ひらまつ」「シェ・イノ」

「ラ・ターブル」「ドラ・シテ」「オー・シザーブル」「アンフォール」「ミクニ」…

80年代から90年代にかけては世界的なヌーヴェル・キュイジーヌの流行で、

東京のレストランには活気がありました。

修行先から帰国したシェフたちは、次々に意欲的な料理を作っていた。

彼らが影響を受けたと思われるシェフのひとりにジャック・マキシマンというシェフがいます。

1マキシマン.jpg

80年代のフランス料理界を疾風のごとく駆け抜けた天才シェフです。

29歳で、ニースのホテル・ネグレスコのレストラン「シャンテクレール」のシェフとなり、

ミシュランの1ツ星、2ツ星と駆け上がっていきました。

1979年には、M.O.F.(フランス最優秀職人賞)を最年少で獲得。

1984年には「フランスの若手料理人第1位」に選出されました。

恐るべき子供(enfant terrible)、かまどのナポレオンなどと評され、

瞬発力と集中力で料理を完成させるタイプのシェフでした。

僕がマキシマンの料理を初めて食べたのは1984年。

マキシマンがネグレスコの「シャンテクレール」でシェフをしていた頃です。

2ネグレスコ.jpg

マキシマンの作り出す料理は、シンプルで軽快、香り豊かで美しく、完成度の高い料理でした。

サラダでさえ、異常とも思えるほど素晴らしいものでした。

数年後、マキシマンは独立し、ニース市内にレストランを立ち上げました。

「マキシマン」という自分の名前を冠したその店は、古い劇場をレストランに改造したものでした。

90年に、僕はそのレストランを訪れました。

劇場だった建物なので、たっぱもかなり高く、ホールの奥には緞帳のかかった舞台がありました。

食事中、ふと気づくと舞台の緞帳が上がっていきました。

そしてその舞台の上に、ガラス張りのキッチンが現れたのです。

マキシマンはそこにいました。

まるで寺山修司や唐十郎の演劇のような奇抜なパフォーマンスに驚きました。

料理はまずまずでしたが、こういう演出のあるレストランは僕の好みではありません。

やはり不評だったのでしょう、数年も経たずマキシマンはその店を閉じ、

ニース近郊のサン・ポール・ド・ヴァンスの麓に「ディアマン・ローズ」という店を立ち上げました。

近所に住むイヴ・モンタンも時折訪れていたようです。

3サンポール.jpg

93年に、僕はそのレストランを訪ねました。

「ディアマン・ローズ」は、ニース市内を見下ろせる素晴らしいロケーションで、

とても居心地のいいレストランでした。

しかし期待していたほど料理に冴えがなく、80年代の輝きを感じることはできませんでした。

得意料理のクルージェットも平板なものでした。

そんなことを思っていたら、マキシマンはこの店も閉めてしまった。

やがてマキシマンの料理は、人々の話題に上らなくなりました。

マキシマンは、しばらくなりを潜めていたが、サン・ポール・ド・ヴァンスの別の場所に

「マキシマン」という店を立ち上げたという話を聞き、2003年にその店を訪れました。

10年ぶりに、マキシマンの料理を味わえることに胸が高鳴ったが、

シーズンオフということもあり店は閑散としていた。

4マキシマン2.jpg

白髪の増えたマキシマンは、ホールの椅子に座り犬と遊んでいました。

悪い予感がした。

料理は、これがマキシマンなのか、と思うほど重くて塩辛いものでした。

料理人としての勢いは、もはや感じることはできません。

マキシマンは、その店も閉じることになります。

経営には料理ほどの冴えはないのでしょう。

「明るい星ほど早く燃え尽きる」という言葉を思い出しました。

天才は、即興的で驚異的なものを生み出すことがあるが、

自分の腕や才能に溺れやすく、短期間で表舞台から消えてしまうことが多い。

僕には、マキシマンが本当に燃え尽きてしまったのかどうかは分かりません。

彼なら、また何かやってくれるだろうという気もします。

現在は、ニースとアンティーブの間のカーニュ・シュールメールで

「Bistrot de la Marine」という魚料理の店を始めたようです。

はたして、早熟の天才は成熟した天才になりえるのでしょうか。

興味のあるところです。
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