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虹の彼方に [暮らし]

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9月28日夕方5時頃、外環自動車道を三郷方面へ走っていくと虹が現れました。

左側の防音壁で虹の根もとが隠れていますが、とても大きな虹でした。

撮影場所は川口西インター付近です。

虹の彼方に向かって走っていくと、いつのまにか虹は見えなくなってしまいました。



茨城で暮らし始めて3年目になりますが、横浜にいた頃とは暮らし方が変わりました。

あきらかに変わったことがいくつかあります。

■電話をかけなくなった
仕事をやめたので、かかってくる電話も、かける電話も減りました。
数日、携帯を使わない日もあります。
携帯電話代(ガラケー)は、家内と合わせて毎月5,000円ぐらいです。

■新聞を読まなくなった
新聞は取っていますが、ほとんど読んでいません。
世の中の流れを知ろうとする意欲がなくなっているのでしょうか。
でも、大事なことは自然と耳に入ってくるように思います。

■本を読まなくなった
もともと家では、あまり本を読みません。
電車に乗ったり、喫茶店で時間を潰すこともないので、本を読む機会が減りました。
野菜作りの参考書は読んでいますが。

■テレビを見なくなった
CMで飯を食ってるんだからテレビぐらい見ろ、とよく言われましたが
さらに見なくなりました。
テレビは天気予報とDVDを観るために使っています。

■映画を観なくなった
以前は、少ない時でも週に1、2本は劇場で観ていましたが
アニメとCG満載の映画ばかり上映する近所のシネコンには足が向きません。
もっぱら、DVDで古い映画ばかり観ています。

■外食をしなくなった
自給野菜を作るようになって、外食の機会が減りました。
必然的に肉や魚も以前ほど食べなくなりました。
3食、家で食べています。

何かをやらなくなった分だけ時間は増えていますが

他にやることも増えたので、時間をもてあますということもありません。

環境が変わると、暮らし方も変わります。

いつしか、その暮らしが当たり前のようになっていくんですね。

実家に戻ったばかりの頃は、とてつもなく狭い所に閉じ込められたような感じで

まるで畑に播かれた野菜の種みたいに、じっと息をひそめていました。

やがて土の中で少しずつ水と酸素を吸収し、どうにか発芽することができたようです。

これからは、この土壌にしっかりと根を伸ばしていこうと思います。

イズラエル・カマカヴィヴォレ「オーバー・ザ・レインボウ」

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ラジオ体操 [暮らし]

村上春樹の「螢・納屋を焼く・その他の短編」に、ラジオ体操をする同居人が出てきます。

ノルウェーの森」にも、毎朝ラジオ体操をする男の話が出てきました。

ふと、そんなことを思い出していたら、ラジオ体操をやってみたくなりました。

子供の頃の夏休みは、毎朝、町内会のラジオ体操が催されていて

出席カードを持って神社の境内などに集まったものです。

皆勤すると鉛筆などが貰えたようですが、僕は一度も貰ったことがありません。

NHKのラジオ体操は毎朝6時30分から放送されています。

しかし、そのタイミングでラジオの前に立つのは、なかなか大変です。

好きな時間にやるためにamazonで「ラジオ体操第1 第2」というCDを購入しました。

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さっそく、庭先にCDラジカセを置き、号令に合わせてやってみました。

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第1体操は問題なくできましたが、第2体操となると記憶が曖昧で、

途中から何とも怪しげな体操になってしまいました。

youtubeで動画をチェックし、第2体操をもういちどやり直しました。

第1体操と第2体操に加え、それぞれに補助体操というのがあって、

全部やると15分くらいの運動です。

実は、幻の第3体操というのもあったらしいです。

やり終えると、カラダも柔軟になり肩の張りも和らいだような気がします。

ラジオ体操には、ストレッチのような筋肉を伸ばすような体操は少ないですが、

まんべんなく体を動かすという点では、よく考えられた体操ではないでしょうか。

実感としては、子どもがやるより大人がやるべき体操だと思います。



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夏の終わり [暮らし]

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長沢岳夫氏のコピーに「ナイフで切ったように夏が終わる」というのがあるが、

夏は、いつもそんな風に終わるような気がする。

僕の住む町は、ふだんは閉鎖的な田舎町ですが、

夏になると海の家や民宿の看板が立ち並び、近隣の県から来た海水浴客で賑わいます。

しかし、それもお盆までです。

お盆を過ぎると、まるでナイフで切ったように夏は終わってしまうのです。

久しぶりに海岸へ行くと、ほとんどの海の家は解体され、救護の監視台も撤去されていました。

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解体される海の家を見ていると、夏の喧騒がだいぶ前のような気がします。

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畑は、まだ夏野菜の収穫が続いています。

ナスは、台風でだいぶ実が痛んでしまいました。

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台風の影響で少し遅れましたが、秋冬野菜の準備を終えました。

大根、白菜、キャベツ、ブロッコリ、人参、ほうれん草、春菊、サラダ菜、レタス、ニンニク、分葱。

10月は、初めてのイチゴ栽培に挑戦です。

11月は、玉ネギの植え付け、スナップエンドウ、ソラマメなどの種播きがあります。

野菜作りを始めて3年目の秋を迎えました。

フランソワーズ・アルディ「もう、森へなんか行かない」
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過去が私を追い越していく [暮らし]

何年か経って、唄の意味がやっと判ることがある。

判るということとは少し違うかもしれないが、

それまで気づかなかった唄の真意に、ハッとする。

人との出会いにも、そういうことがある。

会えなくなって、もしくは、会わなくなってしばらく経った頃に、

あの時、あの人と出会った理由が、はっきりと見えてくることがある。

唄の意味も人との出会いも、流れの中にいる時には渦の中に呑み込まれてしまい、

何も見えてこないのかもしれない。

渦から遠く離れ、おだやかな岸辺にたどり着いた時、

唄の意味や人と出会った理由が自分の背中を突き抜けていく。

そして「そういうことか」と、何かがスッと通った気分になる。

過去が私を追い越していくように。

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ふと、追い越して行った過去に、追いつこうとざわめいてみるが、

追いつくことは、できないのだろう。

これからどんな過去が自分を追い越していくのだろうかと思うと、ちょっと面白い。


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海の家 [暮らし]

今年の海の家は、苦戦が続いています。

昨年は、シーズン中、雨が降ったことは一度もなかったのですが、

今年は7月の海の日以降、ずっと梅雨のような天気が続き客足が伸びません。

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霧でかすむ海の家の前の海岸道路。

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雨で閑散とした海の家。

今週の月曜日から、やっと、いつもの夏らしい天気になり、

友人の経営者のしかっめっつらを見なくて済むようになりました。

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ようやく活気を戻した海の家。

海の家は、海に北風が吹くと数万円の売り上げ、

南風が吹くと数十万円の売り上げだそうです。

まさに天気商売です。

以前は、ひと夏で1年分を稼ぐ経営者もいたようですが、

最近は、海水浴人気も下火になり、そうもいかないようです。

経費も嵩みます。

市から借り受けている海岸の貸地料や、プレハブの建造、取り壊し料、備品、食材費、

光熱費、人件費などを入れると、1ヶ月で500万以上の売り上げが欲しいところでしょう。

プレハブとは言え、店舗を出して1ヶ月の営業で利益を上げなければならないのですから、

経営もリスキーではないかと思います。

今までの営業でどのくらいの売り上げがあるのか分かりませんが、

残りの営業日はあと10日間。

7月の不振をカバーするため、アルバイトとは言え僕も頑張らなくてはなりません。
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イージーライフ [暮らし]

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電話の向こうで、友人が「イージーライフ」とつぶやいた。

自給野菜を作っていることや、夏は海の家でバイトを始めるといった僕の話を、

友人は鼻先で笑いながら聞き流し、ため息をついた。

そして「君も第三次産業から第一次産業へと移ったわけだ」と、続けた。

皮肉交じりな友人の口調は、以前と変わっていなかった。

友人は徹夜で企画を作らなければならないと言うので、話を切り上げて電話を切った。

イージーライフ?

平穏な暮らしではないけど、友人にはそう見えるのか。

ほんとうの「イージーライフ」を始めるのは難しい。

欲望、野心、嫉妬…

着ぶくれした心も、こびりついた見栄もそぎ落とし、

身軽になって空っぽの景色の中に踏み出さなくてはならないだろう。

だけど、今はまだ自分自身やこの世を見限ることは、僕にはできそうもありません。

いろいろなことを夢想します。

そして、それをこの世に形として投射したいと思っています。

形にしなければ、生きてることにならないとも思います。

形にしたいと思うのは、人間がいきものとして未熟なせいかもしれません。

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燃え尽きた星 [暮らし]

茨城県のひたちなか市にある実家に戻って、もうすぐ2年が経ちます。

長い間、横浜で暮らしていたので、ある程度の不便さは覚悟していたのですが、

予想に反して、以前より暮らしは便利になりました。

近所にある巨大ホームセンターのあるエリアには、いろいろな店が集中していて、

あちこちへ足を運ぶ必要がありません。

家電量販店、大型書店、シネコン、スーパー、薬局、ユニクロ、コーヒーチェーン、

家具量販店、スポーツ用品店、ファミレスなどがあり、来年はコストコもできるようです。

そこに行けば、ほとんどの用は足りるようになっています。

ただ、どうしても当地では満たされないものがあります。

レストランの愉しみです。

時々、東京のレストランを思い出すことがあります。

今はなきレストラン。今も続くレストラン。

「コート・ドール」「アピシウス」「ロオジェ」「プティ・ポワン」「ひらまつ」「シェ・イノ」

「ラ・ターブル」「ドラ・シテ」「オー・シザーブル」「アンフォール」「ミクニ」…

80年代から90年代にかけては世界的なヌーヴェル・キュイジーヌの流行で、

東京のレストランには活気がありました。

修行先から帰国したシェフたちは、次々に意欲的な料理を作っていた。

彼らが影響を受けたと思われるシェフのひとりにジャック・マキシマンというシェフがいます。

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80年代のフランス料理界を疾風のごとく駆け抜けた天才シェフです。

29歳で、ニースのホテル・ネグレスコのレストラン「シャンテクレール」のシェフとなり、

ミシュランの1ツ星、2ツ星と駆け上がっていきました。

1979年には、M.O.F.(フランス最優秀職人賞)を最年少で獲得。

1984年には「フランスの若手料理人第1位」に選出されました。

恐るべき子供(enfant terrible)、かまどのナポレオンなどと評され、

瞬発力と集中力で料理を完成させるタイプのシェフでした。

僕がマキシマンの料理を初めて食べたのは1984年。

マキシマンがネグレスコの「シャンテクレール」でシェフをしていた頃です。

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マキシマンの作り出す料理は、シンプルで軽快、香り豊かで美しく、完成度の高い料理でした。

サラダでさえ、異常とも思えるほど素晴らしいものでした。

数年後、マキシマンは独立し、ニース市内にレストランを立ち上げました。

「マキシマン」という自分の名前を冠したその店は、古い劇場をレストランに改造したものでした。

90年に、僕はそのレストランを訪れました。

劇場だった建物なので、たっぱもかなり高く、ホールの奥には緞帳のかかった舞台がありました。

食事中、ふと気づくと舞台の緞帳が上がっていきました。

そしてその舞台の上に、ガラス張りのキッチンが現れたのです。

マキシマンはそこにいました。

まるで寺山修司や唐十郎の演劇のような奇抜なパフォーマンスに驚きました。

料理はまずまずでしたが、こういう演出のあるレストランは僕の好みではありません。

やはり不評だったのでしょう、数年も経たずマキシマンはその店を閉じ、

ニース近郊のサン・ポール・ド・ヴァンスの麓に「ディアマン・ローズ」という店を立ち上げました。

近所に住むイヴ・モンタンも時折訪れていたようです。

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93年に、僕はそのレストランを訪ねました。

「ディアマン・ローズ」は、ニース市内を見下ろせる素晴らしいロケーションで、

とても居心地のいいレストランでした。

しかし期待していたほど料理に冴えがなく、80年代の輝きを感じることはできませんでした。

得意料理のクルージェットも平板なものでした。

そんなことを思っていたら、マキシマンはこの店も閉めてしまった。

やがてマキシマンの料理は、人々の話題に上らなくなりました。

マキシマンは、しばらくなりを潜めていたが、サン・ポール・ド・ヴァンスの別の場所に

「マキシマン」という店を立ち上げたという話を聞き、2003年にその店を訪れました。

10年ぶりに、マキシマンの料理を味わえることに胸が高鳴ったが、

シーズンオフということもあり店は閑散としていた。

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白髪の増えたマキシマンは、ホールの椅子に座り犬と遊んでいました。

悪い予感がした。

料理は、これがマキシマンなのか、と思うほど重くて塩辛いものでした。

料理人としての勢いは、もはや感じることはできません。

マキシマンは、その店も閉じることになります。

経営には料理ほどの冴えはないのでしょう。

「明るい星ほど早く燃え尽きる」という言葉を思い出しました。

天才は、即興的で驚異的なものを生み出すことがあるが、

自分の腕や才能に溺れやすく、短期間で表舞台から消えてしまうことが多い。

僕には、マキシマンが本当に燃え尽きてしまったのかどうかは分かりません。

彼なら、また何かやってくれるだろうという気もします。

現在は、ニースとアンティーブの間のカーニュ・シュールメールで

「Bistrot de la Marine」という魚料理の店を始めたようです。

はたして、早熟の天才は成熟した天才になりえるのでしょうか。

興味のあるところです。
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「肝心な時に、いつも、あなたはいなかった」 [暮らし]

少し前に、song4uさんが家族に対する負債についての記事を書いていました。

家族に対する負債。

思い当たるフシが僕にもあります。

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子どもたちが幼稚園に入る頃から高校を卒業するまで、

僕は仕事場で寝起きする生活を続けていました。

週末も横浜の自宅には帰らない日のほうが多かったかもしれません。

仕事に集中するためとはいえ、家のことは妻に任せっきりにしていました。

気が付くと、子どもたちが多感な時、僕は家にいなかったわけです。

出産の時、高熱で子どもが入院した時、入学式や卒業式、父兄参観、運動会・・・

数え上げたらきりがない。

「肝心な時に、いつも、あなたはいなかった」

実家に戻って暮らすようになった時、妻にそう言われたのは無理もありません。

夫がそばにいて妻を支えてあげなければならない時、

妻の支えになるどころか逆にストレスを与えていたのだ。

謝りたいことも山ほどある。

いろいろあったけど、妻はそんなダメ夫のそばにいつづけてくれた。

思い出すと胸が痛くなるくらい悔やまれる。

これからの人生はその分の穴埋めをしていこうと思う。

妻と出会い子どもが生まれて家族を持ったことが、僕にとってどれほど幸せなことだったか。

家族から、僕はどれほどたくさんの喜びと生きがいをもらったか。

そのことに僕がどんなに感謝しているか。

これからは、そのことを心の底から伝えたいと思う。
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海岸清掃 [暮らし]

先日、町内のボランティアによる地元の海岸清掃がありました。

朝8時、集合場所の漁協前にいくと、すでに顔見知りの人たちが大勢集まっていました。

岩場に降りると、大量のゴミがあちこちに捨てられていた。

軍手とゴミ袋を支給され、ペットボトルや空き缶、フードパック、タバコの吸い殻などを拾います。

食べずに捨てられたお弁当などもあります。

ふと見ると、岩場の隙間に2本の注射器が押し込まれていました。

こんなところで覚せい剤なんか、やめてもらいたいものです。

ゴミを拾いながら岩場を歩くと、けっこう腰に来ます。

2時間ほどで大量のゴミが集まりました。

「きれいになったなぁ」

汗をぬぐいながら、皆が口々につぶやきます。

わが町には、小さな漁港を挟んで、浜辺の海水浴場と岩場の磯があります。

※弟のakiponが、この辺りの景色をブログに載せています。
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子供の頃、夏は、漁港、浜辺、磯、このどこかで僕は遊んでいました。

40年前とは景色もだいぶ変わりましたが、そこ此処に小さな思い出がつまっています。

そんなふるさとの海を、いつまでもきれいにしておきたいと思います。

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数日前に清掃した岩場に行ってみると、またゴミが落ちていました。
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ピアノレッスン2 [暮らし]

ピアノ教室に通って5ヶ月目になると、先生の指導も厳しくなってきました。

たとえば、音を途切れさせずに滑らかに、という意味のスラー記号は、

弾く場所によって多少ニュアンスが変わることがあります。

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僕のような初心者は譜面を追うのが精いっぱいで、弾き方のニュアンスにまで気が回りません。

そんな時、先生はピアノを弾く僕の横から手を伸ばし、

「ここは、こんなふう」と言って手本を弾いてくれます。

先生は、いつも白いTシャツにカシミアのカーディガンを無造作に羽織り、

後ろ髪をルーズなシニヨンでまとめている、小ざっぱりとした印象の30代半ばの女性です。

美人ではありませんが、どことなく奥行きの深さが感じられます。

先生が手本を引く時、シニヨンの後ろ髪が僕の前に唐突にフレーム・インしてきます。

その距離感に、いつもハッとさせられます。

その日、先生はいつものように譜面を指さし

「そこ、ちょっとちがう」と言いながら僕の前にフレーム・インしてきました。

その瞬間、後ろ髪がふわりと揺れました。

先生は、いつものシニヨンではなく、ストレートヘアを背中にのせていたのです。

スローモーションのようにふわりと揺れた髪の動きは、まるでシャンプーのCMのようでした。

僕はアクシデントに遭遇したように呆然と揺れ動く髪を見つめていました。

このきわどさは、何なのか考えました。

そして、自分は今、恋の中にいるのだと気づきました。

もちろん、先生にそんな気持ちがないのは判っています。

人は、アクシデントに弱いものです。

若ければ、そのアクシデントに運命的なものを感じてしまうこともあるでしょう。

イヴ・モンタンなら、新しい物語を始めるでしょう。

しかし、困ったことに僕は僕でしかありません。

このきわどさをかわすには、ピアノ教室をやめることが最善の策だと判断しました。

まるで、旺盛なトマトのわき芽を摘むように。

僕のピアノレッスンは、それで終わりました。

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