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吃音症 [暮らし]

私は、子供の頃からちょっとした吃音症で、小学生の頃はドモリと言われていました。

吃音症とは、発語するときに同じ音が連続して出てきたり

言葉の途中で一時的に発語に詰まって無音状態になり、円滑な会話ができない状態です。

小学校の先生は、ゆっくり息を吸って、吐く時に言葉を発すればいいと教えてくれました。

しかし、次から次へ話題が変わっていく座談のような場合

思ったことを言葉にする前に息を吐くと、しゃべり出しが遅れてしまい

会話の流れの中に入るきっかけを失ってしまうのです。

一対一の場合や、自分の考えを述べるような場合は、ドモらずに話せるのですが

流れの中で、畳み込むように発言しないといけないような場合の会話は、今も苦手です。

そういう時は「なるほど」「そうなんだ」などの相槌しか打てません。

もちろん、スタッフ打ち合わせなどで自分の意図や注文を出す時は別です。

最近は、テレビのひな壇芸人のような座持ちの上手な一般人も増え

会話のテンポも、だいぶ速くなってきたように思います。

私は無口なほうではありませんが、宴会などの席では、そのテンポに付いていけないため

自分から話題を振ることは少なくなりました。

そのかわり、テレビやラジオでは絶対的タブーとされる

話が途切れてシーンとする時間は嫌いではありません。

微妙な距離感と、ちょっと気まずい空気感。

むしろ、そういう沈黙を好むところがあります。

それでも、一対一で座持ちがせずに困ることもあります。

そういう時は、お天気の話をします。

たとえば、それほど親しくない人と同じ電車に乗り合わせた場合などは

これに限ると思っています。

他愛ないお天気の話から、予想もしない話題に発展することもあるからです。

私は、これからも自分の吃音症と付き合っていかなければなりませんが

自分の人格や性格は、この吃音症と大きく関わっているように思うのです。
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感動のメカニズム [CM]

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台風8号が去った日の夕方、南東の方角に二重の虹がかかっていました。

「こんな虹は初めてだわぁ・・・感動的ねぇ」

縁側に座って虹を見ていた母が、ポツリとつぶやきました。



「感動って、何だと思う?」

新入社員のころ、上司が私に訊いてきました。

ふいな問いかけに、私は口ごもりました。

上司は、そんな私を試写室に連れて行き、1本のテレビコマーシャルを見せてくれました。

原っぱのようなところで、10歳ぐらいの子供たちがサッカーをやっている。

元気に動き回る一人の少年を、キャメラは追いかける。

その少年は器用にボールを操り、次々にディフェンスをかわしていく。

ファールで倒されても元気に起き上がる。

少年は、ボールを追いかけて、ただひたすらに走り続ける。

そんな少年のハツラツとした表情が、ストップモーションになり、タイトルが現れる。

「この少年には、両親がいません。

 ブラジルには何かの事情で両親のいない子供たちが〇万人います。

 あなたの善意が、子供たちの未来を作ります」

正確な文言は忘れてしまったが、そんな内容だったと思う。

そのCMは、両親のいない子供たちのために募金活動を促す、ブラジルの公共広告でした。

「憐みを誘う場面が出てこないところがいいですね」

そんな感想を私は述べた。

「そこだ。ふつうに考えれば、悲劇的な運命に涙を浮かべた少年を描こうとするだろう。

だけど、それをやっちゃうと人の心には届かない。つまり感動のメカニズムは作動しないんだ。

憐みや同情で、人は感動しない。前向きに生きようとする健気さこそが人を感動させるのだ」

上司は、饒舌にまくしたてた。

なるほどと思った。

前向きに生きようと健気にボールを追う少年の姿だからこそ、私の心も動いたのだろう。

感動とは、そういうものかもしれないと思った。

健気であることは、どうしてこんなに私たちを揺さぶるのだろう。



梅雨空にかかった二重の虹を見て、母は何を感じたのだろう。
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のこされた翼 [70年代クロニクルズ]

海岸には、海の家が立ち始めました。

今年もそろそろ、海の家の手伝いをする季節です。

かつては数10軒立ち並んだ海の家も、今では3軒に減ってしまいました。

1976年、その海岸を舞台に、大学の卒業制作として映画の制作をしました。

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題名:「のこされた翼」40min 16mm

出演:飯山弘章 引地薫 藤原強 純アリス ほか

海辺の田舎町で暮らす高校生たちの夢と挫折を描いた40分のモノクロ映画です。

当初は、ピーター・ボグダノビッチの「ラストショー」という映画が念頭にあって

海辺の映画館に集まる高校生の話を考えていたのですが

映画館での撮影許可が難しく、違う物語に変更しました。

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撮影は7月10日~20日までの10日間で、キャンプ場で合宿しながら撮影をしました。

学生映画といっても、映画を制作するには、かなりのお金がかかります。

機材、現像、編集、アフレコ、ダビング、プリント作業などは学校の施設が無料で使えますが

フィルム代、交通費、車両費、衣装費、美術費、雑費などの実費が発生します。

この作品の場合は、それらの費用が50万円ぐらいかかったと思います。

その費用は、監督、キャメラマン、俳優などが出し合います。

費用を出し合うことで、各自が卒業制作にエントリーするわけです。

監督は演出力、キャメラマンは撮影技術、演技者は演技力が、卒業制作の審査対象になります。

何の実績もない学生監督に自分の卒業を託すことになるので

スタッフや出演者は、作品を慎重に選定します。

4年の時は、制作費稼ぎのアルバイト、シナリオ執筆、準備、撮影、友人の撮影の手伝いなど

学生時代で、もっとも忙しい年になりました。

毎日学校に行っても、授業には出ず、いろいろな作業をしなければなりません。

そのため、教養過程などで単位を落としていると、卒業そのものが危うくなってきます。

実際、私もギリギリの単位での卒業でした。

当時の映画界は斜陽の風が吹いていて、卒業しても映画界に進めるかどうかは判りません。

これが、自分にとって最後の映画制作になるかもしれない、という思いもあり

どの学生たちも卒業制作には気合が入っていました。

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長い間、私はこの作品を人に見せることができませんでした。

ああすればよかった、こうすればよかった、そんな後悔と言い訳が先に立ち

冷静に観ることができなかったからです。

しかし、40年近く経った今では、それが、自分の実力だと納得し

あの頃の自分の未熟さと精一杯さを、懐かしく思うことができるようになりました。

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映画のラストシーンでの主人公のモノローグ。

「秋になれば、僕の手製のグライダーが

小さな夢を海の向こうまで運んでくれるにちがいない。

涙ぐみながら、僕はやっぱり小さな夢を捨てきれないのだと思う。

さよならを言うには、夏はあまりにもまぶしく輝いている」

※画質、音質ともかなり劣化してます。


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WHOLE EARTH CATALOG [70年代クロニクルズ]

「Made in USA catalog」は、アメリカのライフスタイルを伝えたムック本で

1975年、読売新聞から刊行されました。

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翌年の1976年には続編の「Made in USA-2 Scrapbook of America」が刊行されました。

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誌面には、70年代アメリカの自然志向なライフスタイルとともに

アウトドアに必要な道具や衣服が、たくさん掲載されていた。

私は、山登りやキャンプをしたことはなかったが

寝袋やテント、ナイフ、携帯コンロなど、様々な道具を眺めているだけでわくわくしたものです。

そして、機能性が高くて耐久性に優れているという意味の

「ヘビーデューティー」という言葉を知ったのも、たしかこの本でした。

Leeの101ジーンズ。

RED WINGのワークブーツ。

NORH FACEのマウンテンパーカ。

HUNTING WORLDのショルダーバッグ…

当時の私に買えるものは何もなかったけど

70年代の日本の若者のファッションに「ヘビーデューティ」という言葉が与えた影響は

とても大きかったように思います。

この本は、1968年にアメリカで創刊された

「WHOLE EARTH CATALOG」という雑誌の影響を受けて発刊されたのだろうと思います。

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「WHOLE EARTH CATALOG」は、60~70年代のアメリカの若者たちの自立支援を目的として

発刊され、ヒッピー・カルチャーにも大きな影響を与えた雑誌です。

当時のアメリカの若者たちは、経済社会や管理社会の中での生活を拒否し

自然回帰的なライフスタイルを志向する傾向がありました。

彼らは大学や仕事を辞め、国内を放浪し、流れ着いた場所でコミューン(共同体)を作り

自給自足の生活を営もうとしていたのです。

いわゆるヒッピーです。

しかし、相当な知識やノウハウを知らないと、いきなり自給自足生活をすることはできません。

「WHOLE EARTH CATALOG」は、そういう生活をするための情報や

そこで暮らしていくための道具が、どこで手に入るのかなどについて書かれた雑誌でした。

お金で買えるもの以外に、自然エネルギーの活用、工芸、コミュニティ、遊牧生活、有機栽培

禅、ヨガ、東洋哲学…そういう情報が、カテゴリーごとに網羅されていました。

それらの情報が、カタログという形式で書かれていることが新鮮でした。

この雑誌を見せてもらったのは、ジャズ喫茶でアルバイトしていた同じ高校の女の子でした。

詳しい内容は理解できなかったけど、新しい生き方、新しい未来、新しい希望のようなことを

彼女は熱っぽく語っていたのを憶えています。

以前の記事にも書いたように、彼女はその後、高校を辞め、アメリカに渡って

ジャズミュージシャンのファラオ・サンダースの妻になりました。

私が今でも、ヒッピーやコミューンに関心があり、自給野菜にこだわっているのも

高校生の時、彼女が見せてくれた「WHOLE EARTH CATALOG」の影響だと思ったりもします。

とは言え、今の私は、101ジーンズが、ユニクロのイージーパンツに変わり

ワークブーツが、ホームセンターのゴム長に変わり

マウンテンパーカが、ワークマンの作業着に変わっています。

「ヘビーデューティ」であることは大事な要素ですが、安価であること、という条件が加わりました。
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