記念写真 [CM]
CMのような短い作品でも、最後のカットを撮り終えた直後というのは、
なんとも言えない不安感に襲われる。
これで撮影を終了していいのだろうか…
他にもっといいやり方があったかもしれない…
誰にも言えない不安=モンスターが、自分の中で大きくなっていく。
そうしているうちに、撮影助手がムーヴィー・キャメラのボディからレンズを外し、
フィルムゲートをチェックする。
フィルムに、ゴミや傷がついていないかを確認し、異常がなければ全カット撮影終了となる。
ロケーションの場合は、フィルムゲートをチェックした撮影助手が「Wra~p!」と叫ぶ。
「Wrap」は、「機材を梱包しろ」という意味だが、転じて、「撤収」という意味で使われる。
撮影助手は、仕事から解放された喜びを「Wra~p!」の叫び声に込めるのである。
ある時、アメリカ人の撮影助手は、「Wra~p!」の後に「Everybody Go Ho~me!」と続けた。
その声を聞いた途端に、現場のスタッフは仕事を成し遂げた達成感で晴々とした顔になり、
僕の中のモンスターも、いつしか小さくなっている。
どこからともなく拍手が起こり、近くにいる者同士が握手を交わし、肩を抱き合う。
言葉を交わさなくても、相手の顔を見れば同じ気持ちであることが判る。
長いロケーションで困難の多い撮影の時ほど、この喜びは大きなものとなる。
そして誰かがスチールキャメラを取り出して、記念写真を撮ろうと言い出す。
この写真も、そんなときの一枚です。
モロッコのマラケシュ。
サックスプレーヤーのポール・ウィンターを、あるCMに起用して撮影した時のものです。
※ポール・ウィンターは、翌年、グラミーのニューエイジアルバム賞を受賞した。
日本人、モロッコ人、フランス人のスタッフが入り混じっているが、
仕事を終えたあとの表情は皆同じである。
この写真は、キャメラマンの英興(HIDEOKI)さんが8×10で撮影してくれた。
記念写真は、写真の王道だと思う。
全員がキャメラに正対し、レンズを見つめる。
パンフォーカスが基本で、そこに撮り手の作為や、ごまかしは効かない。
だから、ありのままのスッピン写真になるところが僕は好きだ。
なんとも言えない不安感に襲われる。
これで撮影を終了していいのだろうか…
他にもっといいやり方があったかもしれない…
誰にも言えない不安=モンスターが、自分の中で大きくなっていく。
そうしているうちに、撮影助手がムーヴィー・キャメラのボディからレンズを外し、
フィルムゲートをチェックする。
フィルムに、ゴミや傷がついていないかを確認し、異常がなければ全カット撮影終了となる。
ロケーションの場合は、フィルムゲートをチェックした撮影助手が「Wra~p!」と叫ぶ。
「Wrap」は、「機材を梱包しろ」という意味だが、転じて、「撤収」という意味で使われる。
撮影助手は、仕事から解放された喜びを「Wra~p!」の叫び声に込めるのである。
ある時、アメリカ人の撮影助手は、「Wra~p!」の後に「Everybody Go Ho~me!」と続けた。
その声を聞いた途端に、現場のスタッフは仕事を成し遂げた達成感で晴々とした顔になり、
僕の中のモンスターも、いつしか小さくなっている。
どこからともなく拍手が起こり、近くにいる者同士が握手を交わし、肩を抱き合う。
言葉を交わさなくても、相手の顔を見れば同じ気持ちであることが判る。
長いロケーションで困難の多い撮影の時ほど、この喜びは大きなものとなる。
そして誰かがスチールキャメラを取り出して、記念写真を撮ろうと言い出す。
この写真も、そんなときの一枚です。
モロッコのマラケシュ。
サックスプレーヤーのポール・ウィンターを、あるCMに起用して撮影した時のものです。
※ポール・ウィンターは、翌年、グラミーのニューエイジアルバム賞を受賞した。
日本人、モロッコ人、フランス人のスタッフが入り混じっているが、
仕事を終えたあとの表情は皆同じである。
この写真は、キャメラマンの英興(HIDEOKI)さんが8×10で撮影してくれた。
記念写真は、写真の王道だと思う。
全員がキャメラに正対し、レンズを見つめる。
パンフォーカスが基本で、そこに撮り手の作為や、ごまかしは効かない。
だから、ありのままのスッピン写真になるところが僕は好きだ。
専門用語 [CM]
かつて仕事で作った古い企画コンテを整理していたら、
撮影現場で使っていた専門用語のことを、ふと思い出しました。
専門用語はというのは外部の人にはわかりにくいけど、他の言葉を使うより理解が早く、
正確に伝わるというのが利点だと思います。
撮影の現場では独特の専門用語が飛び交います。
代表的な用語に「上手」「下手」というのがあります。
本来は舞台用語で、「上手」は客席から見て右側、「下手」は客席から見て左側のことを指します。
撮影現場では、客席の位置をキャメラの位置に置き換えて使っています。
つまりキャメラから見て右が「上手」、左が「下手」となります。
撮影現場には、撮影部、照明部、美術部、特機部、制作部、ヘアメイクやスタイリスト、
時には何十人ものエキストラなど、大勢のスタッフや出演者が動いています。
そういう込み入った空間で、左右を区別することはとても紛らわしいので、
キャメラから見て右を「上手」、左を「下手」という言い方で統一しています。
僕は経験の浅いころ、専門用語を知らないで恥をかいた経験があります。
ある撮影で、僕はスタジオの美術セットにトロピカルフルーツを並べていました。
「八百屋にしてくれ!」キャメラマンが、ADの僕に指示しました。
「野菜は用意していません…」と僕が答えると、現場でどっと笑い声が起こったのです。
何故笑われているのか分かりませんでした。
「八百屋」という専門用語は、八百屋の店頭ディスプレイのように、
商品を見やすくするために箱の後ろを上げて角度をつけることだったのです。
もうひとつ笑い話。
数十人のエキストラを使ってリハーサルしていた時、
モニターをのぞいたら画面の右側のエキストラの動きが重なっていました。
「上手の3人、わらってください」と僕が言うと、
その3人のエキストラは、突然ニヤニヤしだしました。
この場合「わらう」というのは「笑う」ことではなく、画面からどいてくださいという意味です。
「わらう」は、取っ払うが変化したもので、
せっかく画面に入ってくれたが、悪く思わず、笑ってどいてください、ということなんです。
「セッシュウ」という専門用語は、ハリウッドから日本に伝わった用語です。
かつてハリウッドに、アカデミー助演男優賞にノミネートされたこともある
早川雪舟という背の低い日本人俳優がいました。
彼が他の俳優と同じ画面に入るときは、箱馬などの踏み台に乗って、
自分の身長を高く見せていたそうです。
このことから、身長の高低差をなくすため、出演者や物を台に載せて撮影することを
「セッシュウ」すると言うようになりました。
僕もロスのスタジオで「セッシュウ」と言ったら、
アメリカ人のスタッフに、ふつうに通じた経験があります。
このように、映像を見やすくするための工夫を指す専門用語は、他にもたくさんあります。
女と男じゃ男が悪い [CM]
家内と初めて暮らした部屋は3畳間でした。
半畳ほどの玄関に小さな流しとガスコンロが付いていて、その先に3畳の部屋があった。
がらんとして何もない部屋を見たときは、多少狭いけどどうにかなるだろうと思った。
ふたりとも深く考えずにその部屋を借りた。
暮らしてみると、3畳という空間は想像以上に狭かった。
ガスコンロで魚を焼くと部屋中に煙が立ち込め、ドアの隙間から煙が廊下に流れ出した。
起きるのも寝るのも、同じタイミングでないと何もできない。
狭い場所にいると、些細なことでも気まずい空気が流れる。
つまらない妥協はしたくないし、相手の気持ちを探る余裕なんてないから、
おたがいに言いたいことを言い合った。
アパート中に僕たちの言い合いががひびき渡ったこともあっただろう。
そうなると、居場所がないので、どちらかが部屋を出て頭を冷やすことになる。
たいがいは僕のほうが出て行った。
部屋を出るときには、ここにはもう戻らないという意志を固め、ボストンバッグに荷物を詰め込む。
その辺の本を数冊、電気スタンド、片手鍋、タバコ、衣類…
持っていくものは何でもかまわなかった。ボストンバッグがふくらむことが重要だった。
ドアを閉め、あてもなく歩きだしてタバコを立て続けにふかす。
夜道を歩きながら、どう考えても悪いのは自分だ、と思う。
つまらない理屈をこねまわした、とも思う。
ゆっくりと時間をかけて近所を一周し、僕はアパートに戻った。
下の写真は、僕が戻った後で怒りの収まらない家内を撮ったものです。
その後、機嫌が戻り晩御飯を作りはじめた。
就職したばかりの頃、その話を広告代理店の方に話した。
彼は僕の話の後半の部分を、あるCMとして企画した。
家を出ていくのは男ではなく、大原麗子だった。
ディレクターは映画監督の市川崑。
そのコンテに、糸井重里氏がコピーを付けた。
「女と男じゃ、男が悪い。悪いよね、男は」
CMは、夫婦喧嘩のあとで大原麗子が荷物をまとめるシーンから始まっていた。
荷物を抱えて家を飛び出す大原麗子を大俯瞰でとらえ、
住宅街を一周し、自宅の家の玄関に戻ってくるまでをワンカットの駒落としで表現していた。
最後は、照れ笑いを浮かべ引き戸を開ける大原麗子のアップで終わる。
玄関を飛び出す大原麗子を大俯瞰でとらえ、駒落としで近所を一周させることで、
夫婦喧嘩をちっぽけな笑い話として描いてしまうとは、さすが市川崑だと思った。
僕たち夫婦も年をとったので、この頃は気まずい雰囲気は回避するようになった。
少々のことなら、何も言うまいと決めている。
円満な夫婦関係は、妥協の上に成り立つものだと思うから。
半畳ほどの玄関に小さな流しとガスコンロが付いていて、その先に3畳の部屋があった。
がらんとして何もない部屋を見たときは、多少狭いけどどうにかなるだろうと思った。
ふたりとも深く考えずにその部屋を借りた。
暮らしてみると、3畳という空間は想像以上に狭かった。
ガスコンロで魚を焼くと部屋中に煙が立ち込め、ドアの隙間から煙が廊下に流れ出した。
起きるのも寝るのも、同じタイミングでないと何もできない。
狭い場所にいると、些細なことでも気まずい空気が流れる。
つまらない妥協はしたくないし、相手の気持ちを探る余裕なんてないから、
おたがいに言いたいことを言い合った。
アパート中に僕たちの言い合いががひびき渡ったこともあっただろう。
そうなると、居場所がないので、どちらかが部屋を出て頭を冷やすことになる。
たいがいは僕のほうが出て行った。
部屋を出るときには、ここにはもう戻らないという意志を固め、ボストンバッグに荷物を詰め込む。
その辺の本を数冊、電気スタンド、片手鍋、タバコ、衣類…
持っていくものは何でもかまわなかった。ボストンバッグがふくらむことが重要だった。
ドアを閉め、あてもなく歩きだしてタバコを立て続けにふかす。
夜道を歩きながら、どう考えても悪いのは自分だ、と思う。
つまらない理屈をこねまわした、とも思う。
ゆっくりと時間をかけて近所を一周し、僕はアパートに戻った。
下の写真は、僕が戻った後で怒りの収まらない家内を撮ったものです。
その後、機嫌が戻り晩御飯を作りはじめた。
就職したばかりの頃、その話を広告代理店の方に話した。
彼は僕の話の後半の部分を、あるCMとして企画した。
家を出ていくのは男ではなく、大原麗子だった。
ディレクターは映画監督の市川崑。
そのコンテに、糸井重里氏がコピーを付けた。
「女と男じゃ、男が悪い。悪いよね、男は」
CMは、夫婦喧嘩のあとで大原麗子が荷物をまとめるシーンから始まっていた。
荷物を抱えて家を飛び出す大原麗子を大俯瞰でとらえ、
住宅街を一周し、自宅の家の玄関に戻ってくるまでをワンカットの駒落としで表現していた。
最後は、照れ笑いを浮かべ引き戸を開ける大原麗子のアップで終わる。
玄関を飛び出す大原麗子を大俯瞰でとらえ、駒落としで近所を一周させることで、
夫婦喧嘩をちっぽけな笑い話として描いてしまうとは、さすが市川崑だと思った。
僕たち夫婦も年をとったので、この頃は気まずい雰囲気は回避するようになった。
少々のことなら、何も言うまいと決めている。
円満な夫婦関係は、妥協の上に成り立つものだと思うから。
アドミュージアム東京 [CM]
汐留のアド・ミュージアム東京で開催されている
「日本のCMのぜんぶ1953-2012」という企画展を見に行きました。
60年間に放送された膨大な数のCMの中から
記憶に残った500本位の作品が上映されています。
日本のCMは、1953年に民間テレビ放送のスタートと同時に誕生しました。
最初に放送されたCMは、1953年8月28日正午の服部時計店の時報CM。
「精工舎の時計が正午をお知らせします。(効果音)ポーン」
しかし、フィルムを裏返しにかけたため音が出ず、映像だけが流れたという。
日本のCMは放送事故で始まった。
以来、CMはいつも「時代の空気感」を映し出してきた。
CMは、個人の思いや主張を披露するアートとは違う。
しかし、出来上がったCMには、その制作者の人柄がなんとなくにじみ出てくるものです。
同じ企画を3人のディレクターが作れば、明らかにちがう3タイプのCMができます。
いい音楽が、意味や理屈を超えて人の心に届くように、
CMも人の心に届くことがいちばん大切だと思います。
そう思って作っても、実際にそういう作品が出来上がるかどうかは放送してみないとわからない。
下の動画は僕の作品集です。かなり古いものもあります。
1本目の「I feel Coke」のCMは、過去50年間に作られたCMの中から選ばれた
63作品のひとつとしてCM殿堂(パーマネントコレクション)入りを果たしました。
次の動画はダイジェスト版です。
「日本のCMのぜんぶ1953-2012」という企画展を見に行きました。
60年間に放送された膨大な数のCMの中から
記憶に残った500本位の作品が上映されています。
日本のCMは、1953年に民間テレビ放送のスタートと同時に誕生しました。
最初に放送されたCMは、1953年8月28日正午の服部時計店の時報CM。
「精工舎の時計が正午をお知らせします。(効果音)ポーン」
しかし、フィルムを裏返しにかけたため音が出ず、映像だけが流れたという。
日本のCMは放送事故で始まった。
以来、CMはいつも「時代の空気感」を映し出してきた。
CMは、個人の思いや主張を披露するアートとは違う。
しかし、出来上がったCMには、その制作者の人柄がなんとなくにじみ出てくるものです。
同じ企画を3人のディレクターが作れば、明らかにちがう3タイプのCMができます。
いい音楽が、意味や理屈を超えて人の心に届くように、
CMも人の心に届くことがいちばん大切だと思います。
そう思って作っても、実際にそういう作品が出来上がるかどうかは放送してみないとわからない。
下の動画は僕の作品集です。かなり古いものもあります。
1本目の「I feel Coke」のCMは、過去50年間に作られたCMの中から選ばれた
63作品のひとつとしてCM殿堂(パーマネントコレクション)入りを果たしました。
次の動画はダイジェスト版です。
余白 [CM]
秋山晶というコピーライターがいる。
75歳を過ぎた今も、広告界の第一線で活躍している。
グラフィックとコピーが一体になった彼の広告を覚えている人も多いと思う。
秋山晶のコピーには簡潔な文体の中に、バラードのような物語が内包されている。
-----------------------------------------------------------------------------
■サラダにいちばんふさわしい飲み物は水だ。
キューピー・マヨネーズ
■音が気になるのは、生きた植物が足りないからかな。
キューピー・マヨネーズ
■愛を探したら食卓にあった。
キューピー・マヨネーズ
■精神力だけでは、テープを切れない。
カロリーメイト。
■120マイルを過ぎると、エンジンの音だけでは寂しすぎる。
パイオニア・ロンサムカーボーイ。
■たまには、苦い朝もある。
アヲハタ・マーマレードジャム。
■ただ一度のものが、僕は好きだ。
映像:青春。キヤノン・AE-1
■その先の日本へ。
JR東日本。
■目覚めると、グラスの影が1インチ長くなっていた。
サントリー・トロピカルカクテル。
■ドライ・マティーニを2杯飲んでいるうちに、街は雪になった。
サントリー・ジン。
■時は流れない。それは積み重なる。
サントリー・クレスト12年。
-----------------------------------------------------------------------------
好きなヘッドコピーを挙げればキリがない。
秋山晶のコピーの特徴は、高く舞い上がったイメージの世界から、
現実の商品へと美しく着地していることだと思う。
だから、物語の中に堂々とした商品の存在感を残すことに成功している。
これは容易にできることではない。
計算された余白があれば、人は自分のイメージを広げようとする。
語り過ぎてしまうと、イメージは広がらないものだ。
僕はCMの企画作りで悩むと「秋山晶全仕事」という本を、よくめくった。
企画のヒントを探そうと、この本にすがりつくのだが、いつも徒労に終わった。
ダース・ベイダーのマスクをかぶっても「フォース」の力を得ることはできないということだ。
そして僕は、語り過ぎて余白のないCMを、あいかわらず作っていた。
リリーフピッチャー [CM]
CMディレクターというのは、皆、独特のクセがあり、わがままな部分がある人種です。
作品の良し悪しは、すべてディレクターの責任なので、
自分の思い通りにやらないと気が済まないというところがあるのも事実です。
クライアントや広告代理店の意向と自分が目指すものが違っていることはよくあることで、
なんとか折り合いをつけながら、作品の方向性を探っていくのもディレクターの仕事です。
クライアントは商品を売りたい。ディレクターは作品を作りたい。
もちろん、両方の目的が達成されることが一番望ましい。
しかし、どうにも折り合いがつかない時は、仕事を降りるということもめずらしくない。
僕のアシスタント時代、撮影現場で上司のディレクターが
クライアントと揉めて帰ってしまったことがあった。
そういうことが伝説になって名を馳せる人もいるし、
それでディレクター生命が失われる人もいる。
このことは非常にデリケートな部分があり、むずかしい問題でもある。
しかし、ディレクターが降りてしまうと必然的に誰かがその役をしなければならない。
ある作品で前任者が撮影1週間前に降りてしまい、僕に話が回ってきたことがある。
野球で言えば先発のピッチャーが試合直前に降りてしまい、
急にマウンドを託されたリリーフピッチャーのようなものだ。
準備する時間もなく、マウンドに立つわけだから当然気が進まない。
仕事に入ると、前任のディレクターが降りたのも無理はないと思えるような
状況だったりする。
マウンドに立ってしまった以上、ひらき直ってやるしかない。
ひらき直っているから、ある意味大胆にやれる。
そんな時、思いがけず突破口が開けるようなアイデアが生まれることがある。
のめり込んで夢中でやっている時より
肩の力がぬけていい作品になったりするから不思議だ。
ある女優 [CM]
90年代の話。
CMの仕事で、ある女性タレントを撮影した。
彼女は人気のわりには初々しさがあって印象のいいタレントだった。
それから10ヶ月後に、別のCMでまたそのタレントを撮影することになった。
一年足らずの間に彼女はすっかりスター女優になっていた。
撮影日の朝、彼女はコンテに書かれた自分のコメントについて、
クレームをつけてきた。
この部分は言いたくないとか、ここはこういうふうに言いたいとか、そういうことだった。
コンテは事前にタレント事務所に渡っているのだから、
不都合なことがあれば、事前に対応することもできるし、
演出的な細かいニュアンスなら現場の判断で変更できる。
しかしコメントに関しては
クライアントや広告代理店と打ち合わせを重ねて決めてきたことなので、
現場の判断だけではどうにもならない。
女優、クライアント、広告代理店、ディレクターの僕が
控室に集まってコメントを練り直すということになった。
何とかコメントがまとまり、どうにか撮影を終えた。
後日、編集したものをクライアントの上層部へ試写したら、
変更したコメントを元のコメントに戻せということなった。
つまり、撮影当日に変更した部分がリテーク(再撮影)になってしまったのだ。
リテークはスタッフにとってはとても不名誉なことで、
現場スタッフによる撮影ミスと判断されてしまうのだ。
タレントが自分のイメージを守ることは重要だと思うし尊重もする。
意にそぐわないことを演じてしまったことで、
その後のタレントイメージを損ねてしまうことがあるからだ。
しかし、それをいいことに必要以上に無理難題を言い放つタレントも多い。
そういうタレントを僕は何人も見てきた。
別の女優。
2000年代の話。
ある女優に事前にコンテの説明をした時、
「年齢とともに減少するコエンザイムQ10…」というコメントに抵抗があると言ってきた。
理由を聞くと彼女は毅然たる態度で「私は年をとらないんです」と言った。
そのコメントを言えば、自分が老化していくのを認めてしまうことになるというのだ。
そして「このコメントがある限り、私は出演できません」と言ってきた。
そのCMは、このコメントこそが一番重要な部分だった。
もちろん修正することはできない。
結局、その女優は出演を辞退し、別の女優が代役にたった。
彼女は数千万のギャラをふいにしてまで、自分のイメージを守ったわけだ。
タレントが自分のイメージを守るということは、こういうことなのかと思った。